石の上にも三年の意味

私が心の浄化の具体的な方法を覚えてから、
8年以上になるけれど、
最初の3年は、

日本にいようが、
ハワイに旅行に行こうが、
酔っ払おうが、
深夜に仕事が終わろうが、

とにかく習った通り、ひたすらひたすら、
一日も欠かさず、
毎日、お掃除を続けました。

途中で、もういいだろう。。
と思ってみても、

“まだだめでしょう?”

という感じがなんとなくわかって、
その感覚、感性、第六感(?)に、正直に素直に従っていると、
いつの間にか、3年が経っていた

というカンジ。

おそらく、
今日は結果が出たかな?
今日はきれいになったかな?
明日なら大丈夫だろう?

なんて、欲深く結果を求めていたら、
(最初は、全くそんな日々でしたが)

ぜ~んぜん、面白くなくて、

「こんなことする必要なし」

なんて、正当化をして、都合良くやめる口実を
探すことになっていただろうと思います。

「こんなことで本当に・・?」

と疑う心も、

「まだだめでしょう?」

とわいてくるメッセージも、

どちらも本当だけれど、

本物の、きれいにクリーニングされた心が欲しい
と願うなら、
どちらの正直に従うかといえば、
お掃除を続ける方に軍パイが上がり、
私の勝ちとなる。

負けるのはいやだしね。(笑)

窓のお掃除も同じだけど、
中途半端に触るのは、よろしくない。

途中までお掃除しかかって、
途中でやめたら、最も汚くなる。

サイアク状態だ。

それは、途中でやめる者への責任であるし、
やるなら、最後まで、徹底的にしないと
気持ち悪くて仕方ない。

お掃除途中の鏡とか、ガラスとか使い物にならない。

だからといって、汚い窓や鏡でいいかといったら、
いやでしょう。

だから、いやいやでも、お掃除を始め、
いやでも、最後まで成し遂げる方がいいというわけ。

でも、道具も持たず、自己流だと、
ガラスに傷をつけたり、
汚れがあっちに行き、こっちに行きと、
いつまでもキレイになってくれない。

労力ばかり使って何やってんの?

ってことになるから、
最も効率よい方法をもつことは、絶対条件。

それでいて、3年かかるんだもんな~。

それでも、
石の上にも3年は、そうやって、
何かを成し得ようとする時の最短コースだ。

正しいやり方と、その意味さえ知っていれば、
いつの間にかその3年はやってくる。

謙虚な気持ちも持ち合わせているなら、
3年を継続させていただける応援もいただける。

何も成し遂げなくても、3年経てば、3年歳を食う。

予定の目標を達成できなくても、3年変わらず同じ家に住む。

じゃあ、じっとしていて、心がきれいになるなら、
これは、なかなか効率の良い話だ。

この意味がわからず、「3年か~長いな~」
といって、ポケッとしていても、
その3年は確実にやってきて、
その次の3年も、大して代わり映えはしないが、
シミとか、シワだけは増える3年となる。

偉大な言葉を、自分の実感を伴って感動する生き方と、
他人事の良いハナシ、にして終わるのではどちらがいいか、
今日からの3年後の結果を楽しみにしよう。

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