混乱したときはどうすればいいか?

  • By Ryoko
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混乱したからといって、

嫌がってはいけない。

嫌がる必要もない。

ましてや、
混乱した自分の問題を
誰かに責任転嫁してはいけないし、

する必要もない。

自分のレベルを上げようと思って
何かに取り組む時、

レベルが変化する時には
必ず「混乱」がやってくる。

なぜなら、

今までの常識が通用していた
そのレベル“A”を乗り越えて、

次なるレベル“B”に行くのが
「成長」
なのだから、

必ず、
Aの常識が通用しない瞬間が訪れる。

これまでの常識が通用するなら
それは、まったく成長ではない。

混乱とは、

成長の際の、登竜門のようなものである。

Bに行きたいのであれば
Aに執着しても仕方ない。

新しいBの常識を使えなければ、
Bへのレベルアップは不可能だ。

時々、いや、正直に言えば

頻繁に、

Aの常識が通用しなくなったからといって、
暴れる人がいる。

「そんなことできない!」

「その意味がわからない!」

「何故、それがいいかわからない!」

と。

Bに行けるよう最大限にがんばります

と言っていたとしても、

そんな言葉を信用してはいけない。

人間は、混乱した時(問題が勃発した時)こそ、

人間性を試されるのだ。

混乱した時に、踏みとどまれる人は、

次のステージにレベルアップできるが、

どうしてもAに執着するなら、

そこまでなのである。

それまでの努力は吹っ飛び、

一からやり直しである。

積み重ね

とは“無縁”というわけだ。

どちらでもいいのだけれど、

私は、それを

モッタイナイ

と思う。

人間は傲慢だから
仕方ないといえば
仕方ないのだけれどね。

意味がわからないだけで、
混乱に負けるなんて、

自分が一体何様(全て何でもわかっている神の様)

というような態度は、

一見、謙虚さの様に見せかけたとしても、

本質的には、

傲慢の最たるものである。

意味が分かればよいだけだ。

「あ、そういうことね。」

と、
理解をして、

その後、留まるか、
先へ進むか決めればよいだけのことを、

Bが理解できないからBはおかしい!

Aはやっぱり正しい!

と、すぐ良し悪しの話に
すり替える人は多いが、

これは、

あまりにも頻発する
ワンパターンの罠の一つである。

間違っているとか正しい

という発想がおかしいのだ。

AのステージからBのステージへの
ステップアップの話を、

良し悪しの話にすり替えているにすぎない。

中学校を卒業して、高校に行くかどうかを
選ぶ段に、

中学はいい。高校は悪い。

などと、良し悪しについて
評価ゴッコをはじめているようなものである。

進みたければ進めばいいし、
もう勉強がいやなら、
中卒でもかまわないはずなのに。

高校に行きたくない自分を
正当化したいなら、
良し悪しについて論じなければ、
やってられないかもしれないけれど。

今までの自分の常識が通用する
=成長の必要ないレベル A

で、
小山の大将になるのがいいのか、

今までの常識が通用しない
=次なるステージ  B

への、

成長を選ぶのか、

どちらでもよいのである。

良いかどうかは自分で決めれば良い。

絶対Aがいいのだ!

というなら、その信念を貫くことは
全く悪いことではない。

(勿論、高校に行く人への嫉妬からの陰口や
中卒の自分への正当化をしないことがマナーであるが)

ただ、知っておかなければならないのは、

Aを卒業して、
それ以上にレベルの高いBに入学すれば、

当然、わからないことだらけ

であるのが当たり前であるということだ。

そこで、偉そうにAの常識が通用しないと
暴れてみても、
何もいいことは起こらない。

わからないことだらけで混乱するなら、

わかっていけばいいだけなのだ。

高校に入学したての新入生に向かって、

え?その教室の場所もわかんないの?

とバカにする学校など、
普通は考えにくい。

ただ、
教室の場所をその学校の誰かに
尋ねる勇気を持たないなら、

いつまでも見つけることができず、
授業に遅れるかもしれない。

遅刻ばかりして、
その学校が嫌になったとしても、

学校が悪いのではなく、
本人の問題であるに違いない。

進歩する。

成長する。

というのは、
常に混乱がつきものであることを
知っておかなければ、

高校生になっているのに、
傲慢にも
「私の中学校では、こんなことしなかった!」
などと自分の常識を主張し兼ねない。

あるいは、「私の家庭では!」
と、おうちの常識を
高校の授業中に振りかざすつもりだろうか。

どちらにしても、

混乱したからといって、

嫌がらなくてもいいし、
嫌がる必要はない

ということだ。

ましてや、
抱えきれない混乱した自分の感情をぶちまけ、
責任転嫁という
あとから恥ずかしくなるような
人生の汚点など、被ることもないのだ。

中学を卒業して
高校に入学を決めたとする。

混乱は、受験の時期のようなものだ。

入学試験に受からなければ高校へは進めない。

混乱しているからといって、

お母さんに八つ当たりして、

「お母さんが、美味しい夜食を作らないから
 集中できないのよ!」

と、わけもわからない論拠を
まき散らし、

甘えの最たるやり口である責任転嫁で
お母さんを困らせたところで、
試験に受かるかどうかは、
全くの別問題なのだ。

人のせいにして、

受験に受からなかった時の
正当化を計画するより、

高校に通えるだけの
実力を身につけなければ

一時的に受かったとしても、
落ちこぼれるか、
挫折するだけである。

混乱中に、どれだけ実力をつけられるか

人生の大きな岐路の中でこそ、
その後の人生が決まるといっても
過言ではないのだから、
特に大切に、過ごすにこした事はない。

良い学校に行けば、
質の良い友人を持ち、
レベルの高い教育が受けられる。

受験中という混乱時期に
踏みとどまれるかにかかっているのだ。

せっかくの、

人生でも稀に見る大切な時。

混乱は成長の証

とでも思って、

楽しく混乱しよう。

そうすれば、

逃げず、自分に負けなかったご褒美

成長

という欲しかった結果が訪れるのだから。

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