教育的な環境の中にいると言えますか?

  • By Ryoko
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ちょっと前まで

スマートフォンもなければ、
携帯電話さえなく、

インターネットだって
魔法のように珍しく、

ipadなんて
夢の中の物のようだった。

時代はどんどん変化しているのに、
誰もがなんにも思わず、
それなりに順応している。

でもそれは、

自分の外側のことだから上手くいく。

そういう「環境」に生きているから
当たり前のように、
自分もアップデートされるのだ。

ところがいざ内側のことになると

まったく逆の状態。

人間は変化をひどく怖れる。

今までの習慣にこだわって、
変化が起きそうになったら
途端にビビって
まるで貝のように固く身を守り始める。

感情が追いつかないのだ。

殻の中では、
この臆病な状態を
なんとか正当化する為の言い訳を
必死に考える。

言い訳が見つかればホッとして
貝の口が緩むけど、
見つからなければずっと心を閉ざしたまま。

外側と内側のギャップは、

様々な見えない葛藤を生み出して、

ひずみが生じ始めるから、

心身に異常をもたらす。

貧乏になるとか、

隠れ鬱になるとか、

傲慢が焦って暴れ出したり、

本性があぶり出されて落ち着かない

などなど。

それは、地震に似ている。

活断層にひずみが生じて、
地震や津波が起き、

たくさんの物が
あぶり出される。

災害後の映像を見た事があると思うけど、

車だろうが、
布団だろうが、
ヤカンだろうが、
ゴミだろうが、

もう、ごっちゃごちゃに表に放出される。

隠していたものだろうがなんだろうが。

ここまでは、

困っちゃうにしろ、

誰にでも同じ条件で起こりうる。

さて、問題はここから。

あぶり出され、

落胆する人もいるだろう。

怒る人もいるだろうし、

泣いて暮らす人もいるだろう。

生きる力を失って自殺する人もいるかもしれない。

その一方で、

強く生きる人もいる。

人を助ける人もいる。

真剣に生き始めて
人間的成功を果たす人もいる。

あまりにもその差は大きい。

大事なのは二つ

一つは、

あぶり出されなければ
本気では考えない

ということ。

命のこととか、どう生きるかとか。

二つ目は、

あぶり出されたあと、
どう対処できるかどうか。

この対処の時に頼るのが、

そして、その差を分つのが、

自分の「脳みそ」なのだ。

「正しく考えることができるかどうか」

それは、
それまでの教育による。

「正しく考えることができる」

なら、今起きている事柄の意味を理解し、
その乗り越え方もまた分かるだろう。

でも、

「正しく考えることができない」

のであれば、

悲嘆して
復活できないとか、
遅くなるとか(無駄に生きる時間が長くなる)。

「教育」

どんな時にも、人間が何かを決断し
今日を生きる時、

必ずこの「頭をどう使うか」

という「教育」に全てがかかっている。

何せ、全て頭で考え出すのだから。

そして、その「教育」は、

外側と同じように

「環境」が大きく関係する。

正しく考えることができる環境の中にいれば、
自然に、
正しい考えも身に付くだろう。

ここでいう環境とは

人、仲間

のことだ。

正しく豊かに影響力を与え合う
環境を持つこと。

これなくしては、

時代の変化に対応できる人間が育つなど
ほぼ不可能なのではないか。

インターネットを使うのが
当たり前の環境でなければ、

少なくとも私は、
インターネットを使える人にはなってはいない。

余程の天才でない限り、

テレビもラジオも見た事がない人が

インターネットを発明したり、
スマートフォンを発明したりは
しないだろう。

正しく考え、

正しく生きることについて、

理想的な教育的環境をもたずして、

それでも何かを成し遂げるだけの

天才的能力があるなら問題はないけれど。

理想的な環境を持っているか、

たまには確認を。

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