“嫌な人”の対処法

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アイツハイヤナヤツダ

と思った時、

「あ、そんなことは考えてはいけない」

などと、

嘘つきになる必要はない。

世の中には、不可解な人はいるもので、

不可解だから悪者にするというのは、
自分の懐の狭さを露呈するようなものだし、

その人はその人で、人のことなんぞ
微塵も考える余地がないくらい、
必死で頑張っているのかもしれないわけだから、

そんなことに、イチイチ目くじらを立てたり、
心を奪われたりすることより、

そんなことより、

アレと同類になることは絶対止めよう!

と、決意を固くする方が、ずっとスマートだ。

人のフリ見て、我がフリなおせ

とは、良く言ったもので、

自分の隠し持った真実なんて、
観たくもなければ、観る力をも育てない我々が、
人のコトを観ることでしか、己を知ることはできない、
ということを分かった方がよい。

ということは、
人を通して、自分を観ることができ、
巨大な責任を感じることもなく、
さっさと賢くなれるわけだから、
こんな都合の良いことはないはずなのだ。

だから、
変な人が周りにいてくれれば、
「ああは、なるまいぞ」
と、すかさず決意ができて、なかなかの好都合。

もし、素晴らしい人しか周りにいなければ、
自分も素晴らしいなどと、勘違いしてしまうに違いないのだから。

本当に素晴らしいならいいけど、
勘違いじゃ困るでしょ?

錯覚じゃ、もっと困るわけだし。

それならば、「アレを真似するわけにはいかない!」
と、固い決意ができた方が、ずっとよろしい

素晴らしい人がいるなら、
自分も同類、と正当化する前に、
お手本として真似すればよいことで、

変てこな人がいれば、
あれの反対をするだけだから簡単、
と喜べばよい。

どちらも良いことしかない、ということだ。

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