自分に嫌気がさす時の対処法

  • By Ryoko
  • 2014/03/13
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毎日毎日、私のメールボックスには、
質問が届き、私からの回答を待って
ズラーーーっと列をなしている。


その中でも特徴的なのは、
女子たちからのメール。

さんざん、長い文章で感情を吐露した挙げ句、

最後に、

「よろしくお願いします」

と綴られている。


何をお願いされているのか、
全くわからないのだ。

「よろしく」ったって、

特に、相談事が書かれているわけでもなく、
質問や疑問が書かれているわけもない。


「何が知りたいのだろう?」


親しい間柄なら、

「質問は何ですか?」

と聞けるのだが、

そうでない場合は、
それから何度も読み込み、
この部分を聞きたいのだな、
と深く入り込んで読解を始めるから、

なんとも骨の折れる作業だ。

相手に心を配って、
質問でも疑問でも明快に記されてあれば、
もう少し、多くの質問にも
回答できるのだけれど、
一つの質問を読解するのに、
やたら時間をとられることもしばしば。


それを一人黙々、コツコツ取り組む私は、

あー、なんて律儀なの。



ま、それはいーとして、

だいたい、

その傾向が強いのが、

断然、女子

というところから見ても、

いかに女たちが、感情に振り回され、
感情に支配されて生きているのかが
よくわかる。

あらあ、私も気をつけなくっちゃ、
と我がフリ直そうと思うのだが、


それにしても、

このタイプの女子たち。


いつも自分が主役なのだ。

読みにくくないように、
何が知りたいかなどわかるように、など、
相手が理解できるようにと
考慮されている気配がないのだ。


アタシは、こんなにいっぱい考えたの。

だから、アンタが勝手に察しなはれ。

だって私はお姫さまなんだから。


という具合なのだ。


自分の感情が世界一大事

ってわけだね。


まあ、お姫さまだから、そんなもんだケド。


こういうのをカノジョにする
男たちの気持ちが、
みょーにわかる気がする場面である。


で、

延々と連なる
描写された感情たちを見ていると、

やたらと自分に嫌気がさしているのだ。

これは、一見、マイナス感情の吐露でもあるから、
お友達や、それこそ
恋人やパートナーにぶつけるのは問題。

けれど私は、それらを
改善したり、癒したり、理解する「先生」
だから問題ないし、

そしてこれは、とても良い傾向である。

ましてや、私はただの先生じゃないから、
そういうマイナスの影響など、全く受けない。

ああ、良い傾向だ

と、むしろ本音が出てくるところが
喜ばしく思う。


こういう本音は、

本気の人

真剣な人

からしか、出てくるはずがないから、

この人は、成長のスタート位置に
立つことができたんだな、

めでたしめでたしと、

嬉しくなるのだ。


で、本人は、どうしていいかわからなくて、
どうしていいか助けを求めて、
私という「先生」に
何らかのアプローチをかけてくる。

その方が、成長するのに、
エネルギーも時間も短縮できるから、
賢明である。


でもこれは一見、依存的に
感じるかもしれない。

それで躊躇する人が多くなるわけだけれど、

その違いを理解できない(アタマノワルイ)人は、
「依存はしたくない、してはいけない」
という恐怖や一般常識に負けて、
いつまでもカッコつけることに忙しいから
本音はひた隠しにして、結果的に
ちっとも成長することができない。

一方、こうして、
何らかのアプローチをかけてくる人たちは、
(男女限らず)

最初は、依存チックではあるけれど、
どうせ依存はさせてもらえないので、
私の指導の意味を理解するのと比例して、
依存ではなく、本物の学ぶ姿勢へと
育っていく。


私になぜ、アプローチをかけて
彼らは、何をしているのか?



それは、

「聞く耳」

を準備したということなのだ。


聞く耳を持たない者は、
何をも受け入れることができない。

日本語がわかるから聞こえる
というのと、

頭にインプット、
心にインプットして、

腹に落とせる(腑に落ちる)

というのとでは、

「聞く」

という行為の内容そのものは、

雲泥どころか、

天地どころか、

負け犬と勝者を分ける
完全なる二極化に繋がる。



幼稚園の頃、確か
私が小学校に上がる前だったと思うのだが、

教育者であった祖父が、私に言った。

「学校というところは、
 先生のお話を聞きにいくところなのだよ」

と。

私は、妙に真剣に受け止めて、
それを肝に銘じまくった。

先生のお話を聞きに行くところなのだからと、
早速、幼稚園の先生の話も、
一字一句理解しようと努めた。

そのことは、私の人生を豊かにしてくれた
「土台」の大切さを、強く再確認する
出来事であるが、

「聞く」準備が整っていないものは、

聞こえているわけがない

と思った方が良いだろう。


聞こえていたって、
理解できるかどうかは、別問題なのだ。

自分を甘く見積もって良いはずはない。


さて、

ようやく準備が整った(であろう)ところで、

自分に嫌気がさす時の対処について考えてみよう。

嫌気がさす

というのは、

「自分にウンザリしている」

ということだ。

先に語ったと同様に、

これまた良い傾向なのだ。


なにせ、今の自分にウンザリするから、
次のステップにも行きたくなる。

今の自分を正当化して、

ヨシとしている者に、

成長という言葉は無縁である。

いくら本人が
口先で、頭で、
ぺらぺら「成長したいです」

とやったって、

ホンネ(本根)が腐って、

あ、いや、
ホンネ(本音)が正当視しているんじゃ、

正当化しているウソの方がホントー(真実)だ。


口も頭も、平気で嘘をつけるのが人間なのだ。

潜在意識は嘘つけない。

だから、

心からウンザリできるなら、

もう、大喜びで自分を愛さなければならない。


ひや~、

もう、なんてアホなアタシーーーーー!!

もう、こんな人間やめちまいたいーー!!

と、やると、

あら不思議、

アホな自分を卒業して、

賢くなる修行の始まり始まり~。



う~ん、なんてステキ。



そう。


だから嫌気がさしたときは、

そのまま、もっとウンザリしてしまうこと。


中途半端じゃだめだから、

更に、トコトン、自分をイヤがろう。


間違っても、

「でも、こんなアタシも、けっこー優しいとこあるしな~」

なんて、やってはだめ。


そんな正当化の罠に引っかかるから、

アホ姫から卒業できないんですっ!


嫌気がさしたときは、

大チャンス!

こんな大チャンス、もう掴むっきゃない。


ウンザリしまくって、

とっとと、卒業証書を手に入れよう。



嫌気がさすくらい、ウンザリな自分を

大いに喜ぼう。


あ、

喜び方間違えて、

いつもの癖で正当化したら、

元の木阿弥だから、気をつけてね!




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