なんでもかんでもメンタルだ

  • By Ryoko
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この世はお金だ。

という言葉の代わりに、

「この世は、メンタルだ。」

と言いたい。

「メンタル」

といっても、そういう「メンタル」
のことではないかもしれないので、

どういう「メンタル」のことか
最後まで、誤解のないよう

自身の頭で確認してほしいと思う。

今日は、これをしよう

明日は、こんな自分になろう

よっしゃ、今年はこれをやり遂げよう

今夜こそ絶対、食べ過ぎをやめよう

まあ、毎日、色々な決意があるものだ。

いや、そんな

「決意”風味”の、ありきたりな宣言」は、

もう、はっきり言って、

何の効力もない!

と、気づき始めている勘の良い人は、
この先を読み進める価値があるに違いない。

決意ばっかりしても、
ちっとも生活が変わらないのを、

自分の意思の弱さや、
自分の能力の低さに、

「責任転嫁」

する必要はないのだということを知ってほしい。

大基本である

「メンタル」

が、正常でなければ、
自分が考え出す「決意」など、

蜃気楼のようなものなのだ。

右足が、どんなにアクセルを踏んだって、

その左足がブレーキを踏んでるようじゃ・・。

普通、左足はクラッチを踏むために使うのであって、

私のように、ミッション6足のコンバーチブルを
ぶいぶい言わせるような女子でない限り、
(いや、女子に限らないが)

ブレーキは右足で踏むものと決まっている。

それなのに、

「まさか。」

といいながら、
無意識で左足がブレーキの上にあるようじゃ、
「そんなつもりはない」
といっても、

スムーズな前進は妨げられてしまう。

ぶいぶい言わせる系か、

ちょーおんぼろ、OLDカーでなければ、
(そんな車、日本じゃ違反だけど)

左足は暇であるはず。

オートマならね。

そう。

暇のままで、左足が
何もしなければ弊害はない。

ところが、暇なのがいやなのか、
「自分はガンバッテマス」をアピールしたいのか、

余計なことに、

いらぬこと左足をブレーキにかけていると、

これは、進むことができない。

しかも、その左足、
あまり使い慣れていないものだから、

なんとも不器用に、
ブレーキを踏んだままで加減ができない。

アクセルは上手に加減しながら
コントロールできても、

左足は、ぼっけ~と、
ブレーキが踏み込まれたまま。

一度乗せた足を離すことすらできないとくりゃあ、

もう、致命的といえる。

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのだから。

その場合、
おそらくブレーキの方が優先されて動かない
あるいは、ちびちびとしか動かない

と思うが、

今度、自分の車で試してみたくなった。

ミッション車では、その実験はできないが、

もう一台あるオートマ車で試してみればいいか。

さて、車を良く運転する人なら、
どういうことか、よくわかるだろう。

運転しなくても、
想像してほしい。

アクセルとブレーキを同時に踏み込んで、

「なんだか、うまく先に進まないの~!」

と、脳みそが叫んでいる自分の姿を。

人間でいえば、

アクセルがプラス

ブレーキがマイナス。

「マイナスを使う」

すなわち、
メンタルの中のマイナスエネルギー
が強く働いていたら、

プラスがいくらあっても、

「効力は激減ですよ」

ということ。

ここでいう「メンタル」とは、
なんとなくお分かりだろうか?

そう。

「潜在意識」のこと。

なんのこっちゃ分からなくてもいい。

どうせ、分かりっこないのが
潜在意識なのだから。

だからと言って、ないことにするのは、

あまりに「人間様」優先の傲慢さだから、

その手を使うのはやめておこう。

とりあえず、謙虚なフリでもして、

知識として持っておきたいのは

人間は、潜在意識の管理下にある

ということだ。

この知識があれば、とりあえず、

「そんなつもりはなかった」

と、オバカな人生を続けることは避けられる。

賢い人生を構築したければ、

潜在意識を整えて、
自分の進むたいところへスムーズに進めるよう、

もっと上手な、アクセルとブレーキの使い方を
覚えればいい

ということになる。

車の運転の為に教習所に行く人は多いが、

人生の運転の為に教習所に行く人は
殆どいない。

皆、自己流で運転するから、

もう、ぐちゃぐちゃ。

事故ってるのに、

怪我までしてるのに、

片手1本とれかかってるのに、

まだ、一人でなんとかしようと頑張っている。

いやあ~、コンジョーあるね。

それだけの情熱があれば、
潜在意識のコントロールなんて、
お手の物だと思うけど、

それが何だか分からないから、

分かろうともしないらしい。

「決意風味の、ありきたりな宣言」

が効力を持たないことに気づき始めた人から、

堂々巡りから脱出する為に、
人生の教習所に通い始める。

30歳から始める人もいれば、

40歳から始める人もいる。

カーブの曲がり方は上手だけど、

どうも、坂道の上がり方が下手だよね

という人は、

坂道のカッコいい上がり方
の強化を始めたりと色々だ。

どこから始めても、

何歳から始めてもいいと思う。

ドンくさいのは、

アクセルとブレーキを踏んだままで、

「きゃ~進まな~い!」

と、何年も一人で頑張ることだ。

40歳になってそれじゃ、あんまりカワイクもない。

50歳でその場合、白い目で見られるのかな?

しかも
ダメージはかなりのものだろうね。

エンジンボロボロかも。

アンチエイジングどころじゃないよね。

本体は、まだ新しいのに、
結構、中身はヨレヨレとか。

3年で進んだのは、わずか5メートル

とかいう?

3年も歳とって、次の3年も、
次の5メートルの為に頑張るんだろうか。

もう若くないといって、
3メートルに減るんだろうか。

教習所に行けば、数ヶ月で実力はつく。

3年もたてば、かなりの実力。

自分の身体の一部のように運転できる
ということは、
自由で楽しいことだ。

私なら断然、教習所行きをおススメする。

なぜなら、

人生をダラダラ生きることは、

命への冒涜であり、

自分をバカにした、罪な生き方だと思うから。

人生を無意味な苦労で彩ってしまうのは、

使命を無視した

愚かな生き方だと思うから。

「メンタル」が整っていないなら、

メンタルのメンテナンスを行う必要がある。

車だって、定期的にオイル交換するはずだ。

たまにはエレメントも交換するんじゃない?

洗車するより、
オイル交換を優先させるべきだと思うね。

人間なら、まずは、「メンタル」。

そういえば先日、
愛車の定期メンテナンスに出したら
9万円だった。

ヨーロッパ車というのに加えて、
私の住む国は、べらぼーに物価の高い国なので(笑)。

なんの話だっけ?

あ、そうそう。

メンタルね。

そう。なんでもかんでもメンタルよ。

なんか、結果でないな~
という場合は、

行動がスムーズにいかない原因である
メンタルのメンテナンスから
検討した方がいい。

必要なら教習所へ。

自分だけは別物。

そんな差別意識は、やめた方がいい。

どのみち差別する人間は、やめた方がいいのだから。

人生を犠牲にすることはないんだよ。

一度もメンテされたことないメンタルが
マイナスで目詰まり起こしてしまったりしてね。

え、そんなつもりはない?

はい。選択はご自由に。

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