人間の最強とは?

  • By Ryoko
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勉強不足というのは、本当に恥ずかしい。

そして、何故か勉強不足な人ほど、

難しい言葉を使ったり、

もっともらしい事を言ったりします。

それに騙される、もっと恥ずかしい人は

「わあ、すごい事知っているんですね!」

と喜ぶけれど、

その話を聞いて恥ずかしく感じる人は、

「もっと、それについて世界感を正しく知ってから
 語ってほしいものだわ」

と残念がったりします。

そして、理解が低いうちに知ったことを語るのは
恥ずかしいことだなあと、
我が振り直したいと心底思ったりします。

世の中は、知れば知る程何がわかっていくかというと、

自分の知識の少なさと、

世界の可能性の甚大さです。

まさにソクラテスの無知の知であって、

勉強すればするほど「自分が偉くなった」

というのとは、
ますます遠ざかる気さえするものです。

ですから、勉強すればするほど、

「だんだんバカになっていくな~」

という気がすることに耐えられない
「くだらないプライド」には要注意。

それに耐えられなければ、
くだらないプライドを勝たせて、
その程度の人間を続けようとしてしまうものだからです。

その誘惑に勝つことが、

己に打ち勝つことです。

その程度の知識を、もっともらしいことにする。

その程度の世界感で、自分をまんざらでもないことにする。

そんな

くだらないプライド=プライドポテト

を育て続けることをやめれば、
代わりに謙虚さが育ち始めます。

最強なのは、

いつも自分は底辺で、全ては学びの対象である

という、大きく広く柔軟な視点をもつことです。

まあ、視点を持ったくらいじゃ、
本物の謙虚さは身に付きませんが、

そして、
そう簡単に最強になれるものではないですが、

でも、
視点を持つこともできなければ、

この話は、いくら聞いても読んでも
なんら人生には影響をもたらしません。

せっかく、謙虚さについて考えるのであれば、

このブログからでも、
何かを学び取ろうとする謙虚さを試す方が、
ずっと、
人生を豊かにしてくれることでしょう。

1分でも、おろそかにしない姿勢もまた、

謙虚さですものね。

「最強」になる必要はないかもしれませんが、

目指し、憧れ、同じ「質」でいることは、
いくらでも試してみたらいいのではないかな
と思っていますけれど。

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