2700年成長する気のない人

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やれやれ、

今日も賢人から学ぶとしますか。

賢者の言葉は、

賢者になろうとする者以外には、

耳とか、心か、

あちこち痛いかもしれませんね。

どこが痛いか見てみれば、

自分のどこに引っかかりがあるか

良くわかるというものですが。

痛くも痒くもない心地よい言葉を聞いて
いい気になり、
傲慢さを増しても仕方ないので、

まあ、私たちは学ぶ者として、
賢者さまから、
痛く貴重なお言葉を、
ありがたく頂戴するとしましょうか。

今日も、耳や心をかっぽじって
まいりましょう!

古代ギリシアの詩人
ヘシオドスの言葉。

  最上なのは、みずからすべてをさとるひと。

  また、よき言葉に従う人も立派なもの。

  だが、みずからもさとらず、

  他に聞くもこころにとどめないのは

  せんなきやから。

「せんなきやから」とは、

無益な人たち。

要は、

無用な奴ら

ということらしい。

無用なヤツどまり

で、留まっていてよいなら、

まあ、
痛いだの、痒いだのと
言っておればいいわけですが、

無用なヤカラじゃ、
いくらなんでも・・

と思うなら、

真摯に受け止めて、
どーにかしなければなるまい。

ということです。

ここが、分かれ道なんで。

「みずからすべてをさとる」ような、
最上を目指せれば良いけれど、

「よき言葉に従う立派な人」になれなくても、

せめて、

せめて、

よき言葉に従おうとする
立派な人になろうとする試みは続けたいものです。

最上を目指しているつもりで、
実はまるで良き言葉に従いもせず、
他に聞くもこころにとどめない
「己の事実」くらいは、
気づいておりたいものですが、

どうやら、これが、誠に難しいらしい。

多分、

2700年前の多くのギリシア人だって、

自分は、
良き言葉に従う素直な人間
だと思ってたんじゃないかな。

現代人も、その方が多いみたいだから。

「人間は自分をちっともわかってないぜ」

と言ったソクラテスに怒って
死刑にしたがったくらいだから、
心の中じゃ、事実を認めるのって、
不都合きわまりないんだろーね。

歴史はやっぱり繰り返されるなら、
歴史から学べたらいいんじゃない?

と思ってますが、

心地良い言葉の方が、
お好みですか?

   今日もクリックありがとう。



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