腰が引けた生き方をやめる勇気
- By Ryoko
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腰が引けたような
びくびくした弱々しい生き方から、
いい加減、
卒業しないといけないのではないですか?
と、
まずは提案してみたい。
この言葉がピンと来ないなら、
5年とか10年、
待ってみるといい。
私の言っている意味がわかるようになって、
自分の
弱々しい部分に気づけるようになるだろうから。
弱々しいのがワルいわけではない。
弱々しいのを覆い隠して、
さも“いい風”を装う、
そのフェイクなカンジ
が、キショクワルいのだ。
勇気があるなら、
仲間や先生やメンターを持って
そのウミを取り除き、
自分自身を大改造することができるだろう。
勇気がないなら、
自分の弱さは隠しておきたいから、
相変わらずビビったまま一人でがんばり、
フェイクを続けるだろう。
要は、勇気と決意の問題である。
真に成長すると決意できているなら、
恥をかこうが、
悔し涙を流そうが、
成長の道を選ぶだろう。
「かっこワルいから」というプライド
を重んじたいなら、
自分自身に負けておるしかない。
プライドを勝たせて、
人間として負ける
なんて、
最もカッコワルい生き方だと思うのだが、
普通は、どうしてもこの方法を使うから、
皆、普通どまりの凡人となる。
まあ、大衆
ってこっちゃ。
当たり前っちゃ当たり前のハナシ。
決意するには、勇気がいる。
決意すれば、勇気も湧いてくる。
なぜ、成長しなければならないのか、
本当にわかっていないから、
言い訳がごちゃごちゃ出てくるわけだけど、
理解できない頭のワルさが、
真の成長を阻んでいる
というわけ。
とことん教えてくれる先生やコーチやメンターに、
とことこん教えてもらう。
そうすれば、
「ああ、それなら、やるしかないな」
という気持ちになってくるだろう。
それが、
「おお、もう、やるっきゃないでしょ」
となれば、
それは、同時に決意に育ってくれる。
そんな風に教えてくれる先生ももたず、
一人で、いじいじ悩むなら
成長できるかどうかわからない。
成長するかもしれないし、
しないかもしれない、
という状態が、
あと10年続くだろうから、
試してみればよろしい。
もし、教えてもらっても、
まだ、腰が引けるなら、
もう、成長は諦めればよろしい。
ごちゃごちゃ言い訳ばかりが
頭を巡って、
それらしい人間ヅラしておるより、
よほど潔くて、スッキリするだろう。
勿論、諦めた人間が言う
成功や幸福は、全てフェイクであるから、
そんな人間の話には耳を貸さなくてよろしくなる。
フェイクのくせに
表面を着飾って、賢ぶるみっともない人間に、
スッカリ騙される、
もっと恥ずかしい人間もいる世の中が、
少しはマシになるかもしれない。
「諦めてるんです」
って、正直にいてくれたら
騙される人も減って、
本人だって、大事な脳みそを
言い訳や正当化ばかりに使う疲労から解放されて、
いいことばかりではないか。
詐欺師が減り、
騙される愚か者が減り、
正当化や言い訳が、
この世から減るのだ。
そういう貢献しかできないなら、
それくらいやってもバチは当たらないだろう。
とにもかくにも、
腰が引けたような
びくびくした生き方から、
卒業する為の学びをしなければ
いつまでも留年である。
そのみっともない姿を、
どう正当化したら、
なかなかイケテル自分
と言うことができるのだろうか。
気持ち悪くないのだろうか?
ちょっと気がしれん。
あ、そうそう。
騙されたといって、
相手を悪く言う人がいる。
いやあ、騙された方だって、
理由があるから騙されたはずである。
騙す人は偉いとは言わないけれど、
騙された方はアホに違いない。
これを聞いて怒り出すなら、
かなり正当化が板についてる証拠である。
もっとも分かりやすいバロメーター。
自分の愚かさを認める勇気もない者が、
自分は立派なのだと暴れ出す。
小学生ならともなく、
いい歳の大人が
恥ずかしいと思わんのか、
気がしれん。
弱い犬ほどよく吠える
ってアレのことだろうか。
勇気を育てることからでも
決意の作り方からでも、
学びを始めるのはどこからでもよいけれど、
腰が引けた不格好な姿は、
初心者の3ヶ月くらいだけにしておけばいいものを、
3年も4年も続けることができるのは、
鏡を見た事がないからだろう。
裸の王様は、鏡を見ても、
自分は立派な服を着ている
と思っていたのだ。
人間は、どんなこともできちゃうのよね。
正しい脳みその使い方、覚えましょ。
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