自分を高めて「ちゃんと生きる」
- By Ryoko
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自分を高めたい!
と、熱い思いがあるにも関わらず、
なぜか、
そんなことすっかり忘れて
いつもの生活、
昨日の自分を繰り返す不思議な生き物・・人間。
忘れる速さに、もしや痴呆?
と思った方が自分に対して親切かもしれない。
あるいは、
忘れていないにしても、
自分を汚すことをやっていながら、
自分を高めているつもり
ってことになる、おちゃらけた生き物・・人間。
いや、どちらも原因があるのだから
しょうがないと言えばしょうがない。
どうして、そうなるか?
なぜ、高まらないか?
なぜ、高めないか?
あのさ~、この原因について言っちゃうけど、
笑っちゃうよ。ほんと。
簡単すぎて。
簡単すぎて、あほらしくなるかもよ。
だから、
あ~、な~んだ。
とか、よくある
「わかった風」を装って、
自分は何でも知ってます
自分は何でも分かってます
と、上から目線で、
あまりに悪すぎる頭の使い方をするのだったら、
ここから先、読むの、やめといた方が身の為よ。
「身の為」って、
私の「身」じゃなくて、あなたのね。
大丈夫?
じゃあ、答え言っちゃうけど、
あのね、
生まれてから、今日まで、
恐らく、そんなこと誰からも
教えてもらったことないんじゃない?
自分を高めるって、どういうことなのか。
何をすればいいのか。
どこで判断すればいいのか。
どう?即答できます?
どう?しっかり教えてもらって育ちました?
学校とか、大学とか、塾とか、お母さんとか?
自分を高めるって、どういうことなのか。
何をすればいいのか。
どこで判断すればいいのか。
これに即答できない
ってことは、
毎日それをやっていない可能性が高い
ってことよ。
高めることをやってもいないのに、
高まるはずないのは、
人間の内面ばかりに焦点を当てている
私のブログを読んでくださっている
頭の良いあなたには、わかりますよね?
でも、
「高まる」「高める」
って、漠然としすぎてるし、
なんか、「それっぽい良い言葉」だから、
使うだけで気分よくなるし、で、
まあ気分良くなるだけだから、
高まった“もどき”はあっても、
本当に高まったかどうかなんて、
判断すらできない
というのが「現実」なのだけどね。
だからこそ、
これらに即答できるよう、
学びを深めなければならないはずなのよ。
現実の対称にスピリチュアルがある。
ヒープでは、結構、
スピリチュアルっぽい話題に触れることも多いけれど、
実は、ヒープの最高位セミナー内では、
最近、スピリチュアル禁止令が出たところ。
だって、
とにかく、
スピリチュアルはビンボーになるし、
頭をアホにするし、
どーにも、こーにも、弊害の方が多い。
賢くなって、自分を高めようとしているところに、
そんな、ヘンテコな、自分の足を引っ張る弊害を
ヘタな解釈で併用されたんじゃ、
アクセルを踏みながら、
ブレーキを踏んでいるようなもので、
前進なんて、しやしないから。
自分を高めるってことが、
明確にわかるレベルになれば、
解禁にしてもいいかもしれないけれど。
ヒープは、現実的に人間教育を行うところであって、
それっぽい気分を味わいましょう
という気持ち悪い教えはない。
だから、禁止したの。
途中で、その違いがわからなくなる人が多すぎるから。
本当に「人間が高まる」「成長する」
ということを大切にしているので、
いつも言う
イミテーションとか、フェイクには、ほんとに
ま~~ったく興味がないのよね。
目が覚めて現実を観たら
全然、実力が伴っていなくて
あーおそろし、
というような
使い物にならない人間を育成しても
仕方ないと思っているから。
それに、
そういうフェイクな教育を自分に施した人って、
目が覚めるのが怖くて怖くて仕方ないから、
スピリチュアルが素晴らしい~とかいって、
また、その中に逃げ込むし、
怖いから絶対、目が覚めないようにと
変な努力を始めるし(もちろん無意識)、
自分を高めることは、ちゃっかり避けておいて、
アロマだ、いい気分だ、ふわふわだ、
と、アルコールよりタチの悪い気分に酔いしれる。
なぜ、タチが悪いかって?
なぜなら、アルコールならさっさと覚めるが、
(私の場合、飲みながらさめていく)
(そんなことはどうでもいいけど)
“スピリチュアル酔い”は、覚めないからね。
余程の自覚と、
アルコール依存ならぬ、
スピリチュアル依存から抜け出すための
更生施設にでも入んないと。
「スピリチュアル依存」
おお、我ながら、
なかなか良いネーミングだ。
おっと、そんなところに喜んでないで話を戻そう。
とにかく、
現実を観る実力と、
自分を観る実力をつけていかなければ、
自分を高めるなんて、
絵に描いた餅だ。
そんなもの、全然、美味しくない。
精神衛生上だってよろしくない。
美味しいお餅を用意して、
美味しく頂き、しっかりハッピーになる。
こういう「現実」でしか、
生きているとはいえないのだ。
生きながら死んでいるような生き方を
ヨシとする、まやかしから、
さっさと目覚めようぜ。
と、言いたい。
自分を高めることを、
これまで教えてもらったことがない
という、今さら悔やんでも仕方ない
過去のことにこだわるのは、もうやめて、
私たちと一緒に、
高めることを覚えていきましょうね。
それが、「ちゃんと生きる」
ってことなのだから。
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