不誠実を積み重ね「自分は誠実」といえる人
- By Ryoko
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「自分は誠実だ」
と思っている人に、尋ねてみたいことがある。
なぜなら、
不誠実な人が多すぎる
と思うからだけど。
「やる」と言ったことをやっているだろうか?
例えば、
「成長します」といっておきながら、
都合の悪いこと、
困難なことから逃げていないか。
「頑張ります」といっておきながら、
面倒なこと、
難解なことから逃げていないか。
これは何も、
口に出したことばかりではない。
心で思っただけのことだって同じである。
別に誰かと、わざわざ
指切りゲンマンしたかしないかは関係ない。
これは、自分との約束なのだから。
心の中で、「こうしよう!」と決めたことに対して、
どういう理由であれ、実行しないことは、
不誠実と分類されるのではないか。
どうねじ曲げたら「誠実」の部類には入るのか?
我々は、どうせ、ろくでもない。
ああしよう、こうしよう
と思っても、都合良く忘れる。
食べ過ぎは良くないと思いながら、
あっさり食欲に負けて食べ過ぎたりする。
ひどい時など、
自分が自分を律することができず食べたいだけなのに、
「これは食べるべき食事だ」
などと、
訳の分からん正当化や言い訳をする。
いやいや、内臓脂肪なり、
ルックスを害する脂肪を蓄えることが
そんなに死守せねばならぬほど
善なる生き方のための素晴らしい行いなのか?
あるいは、
これをやり遂げようと“決めた”ことであっても、
ついつい先延ばしにしているうちに夜が来て、
あらら、どうにもこうにも睡魔には勝てず、
「明日、がんばるわ~」
などと、
どうせ明日も忘れる契りを平気で結ぶ。
こうして、不誠実の蓄積と訓練を、
毎日毎日積み重ねてはいないか?
いや、どうせしているのだ。
ああ情け無い哉、それが現実、それが人間。
ところが、
何ともありがたいことに、
それで死刑になった人はいない。
我々は、許されている。
嗚呼、有り難い、有り難い。
と、アリガタイと呪文を唱えるだけで、
それに甘えて、改善も反省もしない。
人によっては、ありがたいとすら
思いもしない。
と、まあ、どこまでも、ろくでもないわけだ。
だからね。
せめて、
口に出したこと、
人に、伝えてしまったことくらいは、
ちゃんとやり遂げてもいいんじゃない?
と思うのよ。
「やりますと言ったことは、やる」
ということだけど。
これ、別に、修行僧にならないとできないくらい
高尚なことじゃない。
幼稚園の頃から、「約束は守りましょう」
なんて、言われ続けている当たり前のことのはずだけど。
こういう当たり前もできずに、
自分は誠実だ
なんて錯覚していたら、
きっとエライ目に遭うんじゃないかと心配する。
「バカにすんな」
ってことだからね。
不誠実だからバカにするのか、
バカにしているから不誠実になれるのか。
それは大した問題ではない。
不誠実であり、バカにしていることが
問題なのだから。
これは、小さいか大きいかは別にして、
一種の負債である。
今は、そんなろくでもない人間でも
「うへっ!」
と気づいて、大急ぎで
やり残していることを始めれば
きっと、また許してもらえる。
誰も取り立てにこないからといって、
負債を放置しているのはよろしくない。
負債は負債だ。
不誠実の負債は、
人間関係という大事な場面で、
きっと大変な事態となって表面化するのが、
これからの
誤摩化しのきかない世の中なのだ。
負債は、減らす努力をしなければ増える一方だよ。
逃げてないで、がんばろうよ。
積み重ねるなら
裏切られても裏切らない
とか、
損得計算せず誠実に対応する
とか、
そういう「心の貯金」の方がいいと思うよ。
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