まだ続けるか?その停滞ゴッコ。
学んでいる最中に、
情けない
と思う事って、
あると思うのです。
それは、良いことです。
自分を情けないと思えない学びなんぞ、
偽物か、
一見良いようだけれど、
実は何の効果もない
「学びもどき」くらいに
思った方がよいでしょう。
情けないと思うから、
マジで、賢くならんとアカン
と思える訳ですよ。
でないと、傲慢な人間様が、
謙虚に学ぼうなど、するわけないじゃないですか。
「無知の知」
という、なんとも
素敵な言葉がありますが、
自分はアホだ、
と情けなく思った人が、
本当に賢くなり、
自分は最高に傲慢だ、
と、気づいた人が、
謙虚になれるわけで、
情けなく思ったのに、
落ち込むだけで、賢くなろうとしなかったら、
本当のアホだし、
自分は傲慢と気づいたのに、
改善しようとしないなら、
ほんまもんの傲慢だし、
途中過程はどーでもいいから、
はよ、素晴らしくなんなはれ
ってことですよね?
途中過程はどーでもいい
というのは、
途中過程はしょーもない
ってことではなくて、
途中過程に引っかかって
落ち込むだの、
悩むだの、
言い訳タラタラこぼして、
停滞するのは、どーでもいい
と言っているわけです。
落ち込む暇があるんなら、
1mmでも賢くなることをすれば
いいと思うのですけど、
そんな難しいことですかねえ。
私には、
「停滞ゴッコが楽しくて仕方ない」
という風にしか見えないのです。
ま、”なんとかゴッコ”は、
自分がアホらしく感じるまでは、
楽しいので、続けたいものですが。
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