頭の良さは天才的

物事の本質を見抜く目を持ちたい
と、誰もが願っているでしょう。

その為に、

自分を向上させ、

本質に気づき、

真実を見分ける力を養おうと、

努力をし続けているのだろうと思います。

で、だんだんと成長が進んでくると、

今度は、
自分の真実が見えてきます。

これって、とっても良いことのはずだし、

その為に、日々努力していているはずなのだけど、

その努力の甲斐あって、

情けない自分

汚れた自分

(昨日の話題ではないが)
損得勘定する自分

嫉妬に震える自分

が見えてきます。

そうすると何が起こるかと言えば、

自分はだめだ

とか、

こんな自分は許しがたい

とか、

なんと嫌な自分

などと、

ジャッジを始める。

なんたる、傲慢!

いやいや、

大したことない自分だから、
学び、向上することを求めたはずなのに、

すっかり初心も、謙虚さも忘れて、

さも、既に自分は全能の神でもあるかのように、
自分を、裁判にかけ始める。

そんなことは、どちらかというと
愚かな堂々巡りの始まりとなるから、やめた方がいい。

そして、大抵はその裁判に負ける。

ついには、
自分はもう成長する資格がないかのように、
自信を失ったりする。

(その実、傲慢という自信とプライドは激しく自分の中に
 存在したままだから、全く手に負えなくなる。
 そして、学ぶことを諦めようと試みる。
 賢くならないように、自分で自分に罠をかける。)

なんとも、ややこしい。

ややこしくても、
自分が理解を深めて、賢くなって、
仕組みがわかれば、
誰かが「ややこしい!」と、頭をかかえていても、
お気の毒に、と同情のひとつもかけられるようになる。

例えば数学者など、
私達には、到底わかりもしないような、
ややこしい数式を、さも簡単かのように解いて、
私達は、唖然としたり、尊敬したりするのだが、

その数学者の才能とか、仕事ぶりを
認めることができなければ、

へん・・
なにが、数学者よ。
私だって、やればできるわよ、
数学者なんだから、できて当たり前でしょ。
私は、その代わりスペイン語が喋れるわ。
あの人にはできないでしょ。

などと、大変な正当化と、言い訳と、
スペイン語が喋れもしないのに、大嘘を
平気で頭の中で呟くことになる。

自分を正当化し、嫉妬に狂う自分を誤魔化すのに、
使われる頭の良さは、天才的だ。

私も、そんな自分に嫌気がさしたから、
こうして、それを続けることをやめて、
もう、続けなくても良い方法、
もっと、楽に簡単に、自分の運気を上げられる方法
今すぐ、ハッピーになれる賢い方法を
使えるようにすることにした。

そして今は、
HEAPという方法で、それを伝授している。

有効なツールを使わないなら、
自分が嫌いで、自信がなくて、
正当化の鬼となっても、
仕方ないでしょう。

私は、他に良い方法を知りません。

あれば、

グリーンランドだろうが、
アラスカだろうが、
どこまででも行って、手に入れ、
使っているでしょうけれど。

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