あなたはどうやって感性を磨いていますか?
あなたは、
「感性が汚れる仕組みに」ついては学んだことがありますか?
実のところ、この「仕組み」は意外とカンタンなのですよ。
感性とは、
皮膚から、毛穴から、耳から、
今いる空間の全てを感じ取っているものです。
目に見えないからといって
働きがないわけではないのです。
例えば、
腸が動いているかどうか目に見えないから
腸が働いていないということにはなりません。
胃の動きが見えなくても、
胃はちゃんと働いているから空腹も感じるのです。
感性も同じ。
目に見えなくても、様々な情報を感じ取って
私たち人間に影響をもたらしているのです。
つまり、
もし、感性を汚すような情報が降りかかってくれば
目に見えなくても感性は汚れて行きますし、
逆に、
感性にとって、とても良い環境の中にいれば、
自覚はなくても、感性が汚れることはありません。
要するに、良い環境に身を置くのが良いというわけ。
仕組みとしてはシンプルですね。
ただし、感性を磨くというのは、
「磨く」というアクションが必要ですから、
ただ良い環境にいるだけでは訓練不足です。
でも、まずは感性を汚すことは避けなければなりません。
なぜなら、
無自覚に汚れていく環境にいると
それだけで感性の美しい人になることはできないからです。
ヘドロの海で泳いでいる。でも
綺麗な衣裳を着て可愛いくなりたい
お肌もピカピカに輝かせたい
というのは不可能。
同様に、
感性が汚れる環境にいる。でも
「美しくなりたい」「綺麗になりたい」
というのは不可能ということに。
では、一体何が感性を汚すことになるのか
少しお話ししましょう。
感性というのは目に見えない分だけとても繊細です。
自分の自覚以外のところで一体何を感じているのか
目で見てわからない分、メンテナンスが難しいのです。
もし手に泥がつけば
目に見えるのですから、すぐに洗い流そう
ということが可能です。
でも、もし目に見えなければ
バイ菌のように、いつの間にか身体を蝕(むしば)む
ということになりかねません。
重大な病に発展することだってあるくらいです。
感性にとっての重大な病とは、
心の傷
のようなものです。
例えば、ライバル同士で切磋琢磨するのは
良いことなのですが、
それが「好敵手」という、正しい意味のライバルではなく、
単に嫉妬心からの足の引っ張り合いだったり、
妬みからの意地悪だったりすれば、
マイナスエネルギーという自分を蝕むエネルギーに
疲弊して行きます。
あるバレエ教室では、
先生が未熟なために、先生の感情で
えこひいきや、日によって言ってることが違う
なんてことが実際には日常茶飯事に起こっています。
あるいは、生徒同士が蹴落とし合いで、
教室全体に陰険なムードが蔓延していたりしています。
言葉ではもっともらしいことを言っていても、
感性は、その裏の情報を「感じ取ってしまう」
のですから、
いつの間にか傷つき、
それが繰り返されると、
その傷は取り返しのつかないほどに深くなっていきます。
そうすると、どうなるか?
そうなると人は、「なんとなく自信がない」
という状況に陥ってしまうのです。
なぜなら、
感性が傷を増やし、すでにある傷を一層深め、
なんとなく自分の居場所がない、
なんとなく自分が認められていない「感じ」が
してしまうからです。
この「感じ」こそが、
説明はできなくても
しっかりと感じている感性の役割なのです。
それだけ役割を果たしてくれている分、
子供の頃に受けた誰かからの些細な一言や
ちょっとした落胆によって大きく傷ついていたりします。
なぜなら感性とは、とても繊細なものだから。
そして、
誰もメンテナンスの方法など教えてくれなかったから。
そうして放置された感性が受けた傷は、
いつまでも癒えることなく、
自分自身の中で自分を苦しめ続けたりするのです。
感性を守り、癒す方法など
学校でも家庭でも教えてくれないですからね。
それが「普通」ですから誰も気にも留めません。
ただ一人苦しみ続ける
それが普通だと思い込まされて、対処しようとすらしません。
感性は傷つき、汚れたままです。
しかも放置。
しかも長年。
その状態で何か新しいことを始める勇気や
エネルギーが湧いてくるはずがないのも無理はありません。
なんとなく感じている不足感。
その蓄積の結果として育ち切ってしまった不満。
「何が」とは、はっきり言えないけれど、
何か釈然としない。
何だか不自由。
こんな漠然とした「何か」こそが
感性が感じているあれこれなのです。
まずは、そんな風に、汚れに疲れてしまった感性の存在に
気づいてあげてほしいと思います。
気づいたなら、これ以上汚れる環境の代わりに
感性を整えたり、感性を磨くことのできる環境を
選んでほしいと思います。
実際に、
感性を整えたり、感性を磨くことは、まだもう少しだけ後回しです。
何よりも、まずは環境を整えることから。
自分の感性にとってふさわしい場を選ぶことから。
なぜなら、それは今すぐにでもできることの一つだから。
そしてもちろん、感性が喜ぶのは
美しいもの。
ですから美しい環境に身を置くというのは
とても大事なことなのです。
「美しい」には色々な意味があると思いますが、
私たちは、「美しい」の条件に以下を挙げてみたいと思います。
美しいとは、
・歴史に裏付けされた、クラシックなものであること。
・長期に渡って受け継がれ、淘汰の後に残ったもの。
・似たもの、似せたもの、偽物ではなく本物であること。
・現状に満足するのではなく、言い訳するのでもなく、
今を越えようとする姿。
・自分の責任下において自分自身に誠実であること。
・人を蹴落とすことではなく、自分を乗り越えることで
自分を高めようとする姿勢。
・怠惰に負けるのではなく、理想に向かおうと自分を鍛える心意気。
・真の自信に裏打ちされた凛とした姿。
etc…
これらを全て満たした
本格的なクラシック・バレエのスタジオという美しい環境で
自分自身に集中する仲間と共に
切磋琢磨をして、自分自身を高める
という価値観で日々を過ごすこと。
これもまた「美しい」ことに
加えても良いのではないかと考えています。
クラシック・バレエは歴史あるものであり、
本物の音楽があり、
本当にバレエのわかっている先生に師事することは
感性が喜ぶことであると考えているからです。
「バレエならどこで習っても一緒」
など、粗雑な考えでは感性も同様の影響を受けていることでしょう。
「バレエなど習わなくても生きていける」
と思う。確かにそれはその通りでしょう。
けれど、「美しい」を目指す鍛錬を自分に与えないとしたら、
そのような考えを持つその人が、本当に美しいかは疑問です。
バレエがなくても生きてはいけますが、
バレエがあれば、もっと美しくなれるのです。
なぜなら、感性を整える美しい環境で、
美しくなるための訓練をするのですから
美しくならないはずがないではないですか。
その大前提として
「美しいと言える環境」が
必要であることは言うまでもありません。
”簡易の狭い貸しスタジオ”で、”バレエもどき”を習う
これこそ、感性にとっては悲惨と言えることでしょう。
「目に見えないから構わない。」
「安いから構わない。」
こんな風に、感性にとって罪なことを与え続けるような
積み重ねを続けた結果には
自ら責任を取らなければならないでしょう。
親が子供に与えたなら、
子供の感性が成長した時、
子供から恨まれることになっても、それは自ら招いた結果です。
感性を汚すような罪なこと。
まずは、それを止めることからです。
そして、次のステップとしては、
感性を整える環境を自ら選ぶこと。
そのような理想的な環境を選べた人が、
はじめて「感性を磨く」という
贅沢な練習を始める資格が持てるのだ
ということをお忘れなく。
そして、その贅沢な練習を
バレエの練習でスタートさせてほしいなと願っています。
美しいバレエ・スタジオを選ぶ感性をお持ちであれば、
なお嬉しいです。
もし、バレエ・スタジオヒープに出会って頂けるなら、
あなたがいくつであろうと、
あなたの今がどんな状況であろうと、
これからの未来のために一緒に
美しく感性を磨いてまいりましょう。
私たちは未来のために、
「今」に集中できる
理想的な環境を自分自身に与えてあげるのが
私たちが持つ価値観なのですから。
まずは、本格的に感性を磨くための
スタジオ見学をオススメしています。
誰に遠慮する必要はありません。
あなたが、あなた自身の感性を
「美しい感性」に整えたいと願うかどうか
自分の感性に責任を持ちたいと願うかどうかですから。
自分の感性に責任を持つ第一歩のために、