「価値」について誤解はないか?

  • By Ryoko
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今日は、「価値」について語ってみたいと思います。

誰もが、
「価値を提供できる人間になりたい」

と思っているでしょうし、

「価値ある人間になりたい」

と願っていると思います。

でも、その割には、

「価値」を理解できていない人も多いのが

現実です。

価値を提供する

ためには、

価値が何かわかっていることが大前提のはず。

それなのに、

自分は価値が欲しくて欲しくてたまらない割には、
価値が何かわかっていないと、
価値をたくさんもらっても、却下して、
違うものを欲しがったりするのです。

人によっては、

たった一通のメールに100万円の価値を
感じて受け取る人もいます。

そして感謝と共に、最大限に活用します。

その逆に、
全く同じ内容のメールを受け取っても、

「それじゃない。」

「違うのちょーだい。」

と、手を伸ばす人もいます。

自分の期待と違う形をしているからといって、
文句を言う人もいます。

何が違うのでしょう?

そうですね。

受け取る者の、価値を感じる力

の差です。

「価値を理解できるかどうか」の違いです。

どちらの人が、価値を理解できているといえるでしょう?

どちらの人が、価値を提供できるようになるでしょう?

私たちは、

欲しがったり、相手に期待する前に、

自分の状態を知ることから始めなくてはならない
ということです。

自分が欲しがる「それ」について
わかって(理解して)いるか?

と。

だって、分かっていなかったら
自分の手の中にあっても、
関係ないと却下するかもしれないのですもの。

お腹が空いていて、

リンゴが食べたい、リンゴが食べたい
と頭の中が赤色でいっぱいだったら、

黄色いバナナが手の上に乗っても、

「これじゃない」

と捨ててしまうかもしれないじゃないですか。

もし「羊羹」というシロモノを知らなければ、
「とらやの羊羹」を手に乗せられても、

「なんじゃ、この黒い物体は。」

といって、捨ててしまうかもしれないのです。

お腹を満たすものがいいのか、

リンゴじゃなきゃならないのか。

しかも赤じゃないとだめ?

自分が満たされる状態を知らなければ、

自分に対しての理解が浅ければ

こうして「価値」は捨てられてしまうのです。

「赤いリンゴ」を渇望することと、

「自分が満たされた状態を知る」こと。

どちらを優先させるべきなのか。

お好きな選択でいいのですけれど、

やっぱり
失敗しない選択ができるようになりたいものですよね。

気づかず捨てられていく「価値」を
一つでも救ってあげられますように。

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