人と関わるということ

  • By Ryoko
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人と関わるということは、
否応でも学ぶチャンスが訪れるということです。

人と関われば、必ず何らかの感情が動き、
頭を働かせて、言葉や表現を選ぼうとしますから。

それが上手かそうでないかは別として。

それを本当に学びにするか否かは別として、

チャンスがやってきていることには
違いないと思うのです。

人と関わらない
人を避ける

ということは、

心のどこかに、人を「遮断する」意識が働いている
のかもしれないですね。

自分の内側に、人を介入させたくない
という思いが存在するのかもしれません。

自分の殻の外にしか出入りを許したくない
と思っているのかもしれません。

自分に被害(関わり)のない関係のない遠い所でのみなら、
人と関わってもいい、ということなのかもしれません。

ですが、それは、本当の関わりとはいえませんね。

“関係ないところの関わり”

ということになるので。

それでは、せっかく人と出会っても、
自分の成長に貢献していることにはならない。

だって、それって痛くも痒くもありませんから。

「楽」ですが、「無」です。

楽なだけで、学ぶものが無いといったカンジ。

「学べている時」というのは、

痛みや苦しみを伴っている時だと思いませんか?

だからといって、

痛くて苦しいなら学べている
ということはできません。

なぜなら、悩み苦しみの中にいるだけで、
停滞しているから一層苦しくて、
そのまま、まったく成長していない人は
世の中には、たくさんいますから。

停滞の時の痛みと、
学びの時の痛みは、
全く別物であることも知っておきたいものです。

もし、自分が

「無関係」

を作り出している。

としたら、

孤立するから、ますます孤独感は強まり、

不安になり、心細くなって
何かに依存したくなる。

そんな自分に痛みや苦しみを感じるでしょう。

人を恐れて、知らぬうちに無自覚のまま、
人をあっちに突き飛ばしておきながら、

人と関わることを避け、
人が自分と繋がることを拒絶し、

そして一人になって孤独感に苦しむ

としたら。

だとしたら、

自分の何かを改善すべきなのでは?

自分自身が「無関係」を作り出している事実に気づく

とか、

人と関わることを恐れている

とか、

何か小さな自分の「事実」について。

それが、「己を知る」ということの
ひとつの試みでもあると思います。

「己」のことが少しでも分かれば、

次に何をすべきかが、
自ずと分かってくるものです。

どうしていいか分からないのは、
自分のことが見えない場合が殆どです。

見えないものは、どうにも対処できないのですから。

良い仲間が欲しい。

素晴らしい伴侶と出会いたい。

素敵な関係を築きたい。

その正直な思いとは矛盾する
人を恐れ、遮断してしまっている状態を
同居させていないか、

考えてみてもいいのではないかと思います。

何か改善すべきものが発見できると良いですね。

己の何かを改善しつつ、人と真に関わり、
たくさんの学びができること。

目指すべき素晴らしい価値あることだと、私は思います。

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