「自分」の取り扱い

  • By Ryoko
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さて、日々、
本当に成長する日々を送る人は少ない。

1週間にテレビをつける日が何時間あるだろう?

成長には

「静寂」

が必要だというのに、

あの、どうしようもない雑多な音声が耳に入るなら、
自分の内側を観るなど、

殆ど不可能。

「今日の課題」に取り組むということは

今の自分に決別して
新しい自分に挑戦するということ。

毎日新しくするということは、

そんなんにじゃんじゃん
新しく出来るわけないのだから、

なんとか1mm、

どうにか0.1mm

どうしたら0.01mm?

と、非常に繊細に自分の内側を観る試みでもある。

そこに、わけもわからん雑音が入るなら、

もう、「自分」までわからなくなるに違いない。

20代を卒業すれば、

大体、人間なんて、
一通り遊び尽くしているはずだから、
あとは、いっぱしの大人になるべく
遊びも、学びも、精進に使えばいい。

だから、遊べる時にはとことん遊び、
あとは、
遊びを併用しつつ、
とことん学べばいい。

中途半端にしか遊んでない人は、
中途半端な人生になるに違いないのだから、

なんなら私が遊び方、伝授しますよ(笑)。

まさに
よく学び、よく遊べの精神でいきたいものです。

だから
テレビとか、インターネットを
遊びに分類するのは、いただけないのです。

なぜなら、「体験」がないのだから。

あれは、

「遊び」という体験ではなく、

「暇つぶし」に分類したいと、私は思います。

まさかあれを、学びと錯覚するなら、

きっと痛い目に遭うのではないかな。

これまでに得た、「体験」を伴わない情報で、

全く成長もしていない、

全く生活が変わらない、

という変化、成長のない生き方を、
良しとするような、

そんな「麻痺」を許している場合ではないと
私は思います。

あ、ホントだ!

と思う正常な感覚感性を
取り戻したい方、

その正直な気持ちを大切にしていきましょうよ。

人間は、どこからでも復活可能。

と同時に、

手遅れ

という可能性も同じだけあるのです。

自分に正直に。

そして自分に責任を。

たくさんの体験で、たくさんの心を動かすこと。

それが、

自分を大切にし、「自分を楽しむ」ということで、

自分を大切にできる人だけが、
人をも大切にし、楽しませてもあげられるはずなのですから。

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