レオナルド・ダヴィンチ

ブログランキングに参加中。今日も応援ありがとうございます!
やじるしこちらをクリック。

レオナルド・ダヴィンチといえば、
「最後の晩餐」や「モナリザ」で、
よくご存知だろう。

彼の作品や生々しい筆跡をみて、
圧倒される経験をした人も多いと思う。

有名作品の「最後の晩餐」には、
イエスを裏切ったユダが描かれていたり、
「モナリザ」同様、
様々な逸話があって面白い。

「モナリザ」を生で観るのは、
カンタンであったが、
「最後の晩餐」は、
そういうわけには、いかなかった。

イタリアに行った際、
奇跡が重なって、
文字通り、
奇跡的
「最後の晩餐」を目前にした。

全く予定すらしていなかったのに、
生に触れることができたので、
そういう意味でも、個人的には、
とても意味深い画になっている。

これまで奇跡的な体験は、
私にもいくつかあるけれど、
このイタリアでの体験ほど
印象的なものはない。
(もっとスゴイのは、あるけれど)

今思い返しても、
「最後の晩餐」を観れたのは、
”奇跡”
としか言いようがないのだ。

そして、
奇跡的なことは、

「ああやって起こるのだな」

と、データをとるのだけど(笑)。

さて、ダヴィンチの話をしよう。

ダヴィンチがイエス・キリストの肖像画を
描くために
ある男をモデルとして選んだらしい。

その男の顔の中にキリストを観たのだとか。

その男は或る女性と婚約中の青年で、
恐らく婚約の愛の故に、
その両目には美しい光が湛えられていたのだ
と言って
キリストの肖像を描いた。

その二年後、
ダヴィンチは、裏切り者のユダの絵を
描くことに決め、

いかにも裏切者の画像にふさわしい
卑劣な感じのする男を、
約二年かけて探しまわったという。

ゴロツキのたむろする区域を歩いていたとき、
ボロをまとった、うらぶれた男を
遂に見つけたので、寄って行き、

「今までキリストの絵を描いてきたのだが、
こんどは、裏切者のユダの絵のポーズをとってくれる男を
探しているんだ」と言うと、

その男が顔をあげて言った。

「旦那、そのキリストのモデルになったのはあっしでさァ」。

と。

わあお。

さて、これを読んで何を思うだろう?

同じ一人の男が、
キリストのモデルとして選ばれ、
裏切者ユダのモデルにも選ばれてしまう
ということだ。

詳しいことは、
メルマガや、HEAPing Clubで
話す機会もあるだろうが、

一人の人物が、
その両方になりうることを
知っておくのはどうだろう。

かの天才ダヴィンチが
キリストを見た男は、

裏切者のユダのモデルに
ぴったりの自分になるつもりで
その数年を生きていただろうか。

いや、

「そんなつもりはない」

と言うだろう。

このセリフは、

現代に生きる者の口から、
そして頭の中から、

頻繁に発せられているのを
私は知っている。

この現実から、深い学びと気づきを
得ていただけたらな
と願っているところ。

できれば学ぶ仲間同士で、
これについて語り合うと良いだろう。

きっと、深い深い学びができるだろうからね。

   今日もクリックありがとう。



blogランキング

楽しく美しく生きるための
「1分ヒント」
は、こちらからどうぞ

コメントを残す

Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください