悪魔が使う「ありがとう」
- By Ryoko
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「ありがとう」
という言葉の意味は、
「有り難い」
「有ることが難い=滅多にないこと」
という意味であることを
聞いたことのある人は多いだろう。
また、
「難が有る」
「難」を超えた時にはじめて
本当に感謝が湧いてくる
というものが、
「ありがとう」
という意味であることも。
調子の良い時は、
「ありがとう」を連発する人は多いが、
全然、「有り難く」ないのである。
私は、人を育てる
という役割を長く続けているから、
「難」があれば、即、
責任転嫁に豹変する人を
多く見て来たし、
自分の中に起こる「難」から、
敏速で逃げ出す人が、
うんざりするほど多いのも知っている。
それでいて、
本人達は、
自分は天使のつもりであるのだから、
慣れないうちは、
その人口の多さに驚くことしきり。
その間違った
ニセモノプラス思考が、ありがたい。
いや、
おめでたい。
実際には悪魔をやっているのに、
自分では、「そんなつもりはない」
とかなんとか言っちゃって、
「天使」のつもりなのだから。
そういう人間達が使うのは、
「有り難い」
という感謝ではなく、
「ありがとう」
というセリフなのだ。
体裁大好きな人は、
これを連発する。
「自分の点数を上げたい」
という「本性」丸出しなので、
こちらには、
うっとうしく感じさせているというのに、
人の気持ちなど、
お構いなしなので、いつまでも続ける。
自分の点数を上げて、
「何が何でも悪い人には思われたくない」
(いや、むしろ、良く思われたい!)
という本心丸見えだということには、
気づきもしないのだろう。
自分(自分の正しさ)にしか興味ないからね。
そんな「セリフ」に
騙される方も騙される方で、
そんな言葉に振り回されて、
「あの人はいい人だ」
という錯覚に陥ったりする。
いや、「洗脳」と言った方が良いのかな?
どっちもどっち。
どうせ、似た者同士で集うのが、
世の決まりだから。
だから、
そんな同類になりたくないと思うなら、
「有り難い」
という言葉を理解することから始めて、
「難」を乗り超えた所にある
本物の感謝を体験するしかないだろう。
その体験のない者の口から出てくる
「ありがとう」は、
イミテーションなのだから。
ダイヤでも、ブランドでも、絵画でも、
イミテーションを選んで、
それなりに楽しむ人はいる。
イミテーションがいけない
と言っているわけではない。
(まあ、中には犯罪というのもあるけれど)
本物と偽物の、
どちらが良くてどちらを選ぶか、
好みの問題だと言っているのだ。
問題は、
イミテーションと気づかず
使い続けることにある。
1億円の絵画は、購入できないけれど、
100万円のリトグラフで楽しむのは自由である。
(リトグラフが偽物と言っているわけではない)
ところが
10万円のイミテーションのくせに、
1億円の絵画のつもりで満足そうに振る舞うのが
みっともない。
いや、
いただけない。
HEAPは、本物志向の人の為の
学びの場だから、
なかなか、イミテーションから抜け出せな~い!
ということであっても、
継続は力だから、
本物志向の自分を信頼して
学びを放棄しなければ、何の問題もない。
学びもせず、学びも知らず、
自分の使う
「ありがとう」
が、イミテーションとも気づかないまま
本物だと思って使うのは、
本物が何かを知らないからである。
それでは、大人としては、
いくらなんでも恥ずかしいと思うのだけど?
本当の学びをして、
本物が何かを知って、
自分の偽に気づかない限り
無知は続く。
おっと、
こんな、ソクラテスみたいな
「自分が知らないことを知りましょう」
などと言うと、
「そんなつもりはない」
という言葉が大好きな人からは、
イミテーションを暴こうとする
私の方が悪いという反論が
聞こえてきそうだ。
いや、それは反論でも理論でなく、
単なる“いちゃもん”なのだけど。
ソクラテスほどの賢者なら、
彼を死刑にしてまで生き残りたい悪魔も
多くいたろうが、
私は、大した賢者でもないから、
“いちゃもん”程度ですむ。
悪魔といっても、
やっぱり大した悪魔ではないから
心配には及ばない。
(しかも、表面的には”良い人”の仮面は分厚いから
変なことはしでかさない。本人の内面で戦争なだけだ。)
悪魔は自滅するのだから、
私が心配するのは、大きなお世話だしね。
自分の悪魔の「セリフ(ありがとう)」は、
自分が「天使のつもり」
の本人にとっては、
素晴らしい言葉なのだろう。
それは、その人の問題だから
お好きにすればいいのだけれど、
どうして、こういう話をするかというと、
私たちは、
そういう世の中に繰り返される
歴史から、
学ばなければならないからである。
もっと
本質を求める気持ちを本物に、
イミテーションの
「ありがとう」
は、やめにして、
本物の「有り難う」
を言える人に、
ステップアップするのはいかがだろう?
私は、
イミテーションでありながら、
偉そうにしている人間達が、
どうも好みに合わない。
ちょー、ごーまん
なのに、
謙虚ぶってる人
とか、
逃げ足は速いくせに、
学んでます風を装う人
とかね。
そういう人は、
ありがとー。ありがとー。
を連発する。
そうじゃなくて、
本当に、ああこの人、
「難」を自らの努力によって乗り越え、
「有り難い」ことを知っている人だなあ
という人を目指したい。
そういう人の
「ありがとう」の一言は、
深い。
価値があるからね。
連発しないしね。
1 安物を連発。
2 価値あるものを少し。
3 何もなし。
あなたは、どれがお好き?
安物の叩き売りは、
悪いことではありません。
安物ならせめて量で補わないと。
安物がカッコつけて量を減らすと
価値はないは、量は少ないはで、
いいことないですものね。
いやなら、
レベルアップすればいいだけなので、
問題も、文句もないでしょ?(笑)
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