中途半端と優柔不断から卒業する
- By Ryoko
- 中途半端と優柔不断から卒業する はコメントを受け付けていません
ブログランキングに参加中。今日も応援ありがとうございます!
こちらをクリック。
なんでもこの世は二極化である。
成功する人しない人
成長する人しない人
好きかキライか
良いかワルイか
上か下か
右か左か
一か八か
日本には、「どちらでもない」
などの中途半端なものがあるけれど、
ビシッと
丁か半か決められない
というのは、
優柔不断な人間が増えていく
ということでもあるのだから気をつけたい。
アンケートでも、
「どちらでもない」
というのは、
日本独特の風潮で、
決して世界常識というわけではない。
なんでも二つに
合理的に分けりゃあいいとは、
私も思わないけれど、
一方で、
「曖昧」という「優しさ」は、
決断力に乏しい、
頭の弱い人間が育つ弊害があることを
無視してはいけないだろう。
丁か半か
二つに一つを決めねばならない
というのは、
まさに指1本とか
全財産などをかけた
命がけの厳しい決断だったりするのだ。
(指1本かどうかは、知らないケド)
「どちらでもない」
という風潮の中で、
自分がどうしたいのか、
どうしたらいいのかさえ決断できないで、
「どうしよう、どうしよう」と
よくわからない日々を過ごすのは、
何とも情けないことだという自覚が欲しいところ。
一か八か試してみるという人間より、
「そんな賭け事はいけませんわ」
というような上品ぶった
お坊ちゃん、お姫が多いように思う。
それ、
単に失敗を怖れてるだけなんだけどね。
というのは、親にだって分からない。
我が子が失敗するのは見たくないから、
一緒になって「どうしよう、どうしよう」
と、家族そろって仲良しクラブである。
そのくせ、
決断に失敗すると
「アンタが優柔不断だからよ」
などと平気で責め立てたりする。
それぞれの家族が大事にしている方針に、
ケチをつける気はないけれど、
それなのに、
一人前になりたい
子供を一人前に育てたい
など、無茶苦茶な矛盾を願うのは
困ったものだ。
「どちらでもない」
ということは、
「どちらでもない=何にもなれない」
ということだ。
どういう異常事態が発生したら、
何にもなれない人間が立派になるというのだろう?
「どちらでもない」
と言いながら、
「めちゃくちゃ、こうじゃなきゃいやだ」
と心の奥底では、
凄まじい我欲によって
計算高くなってしまった人もいるけれど、
とにもかくにも、
矛盾を減らし、
決断力を身につける練習も、
優しさと同時に行うこと。
それが、バランス良いということじゃないかと
思うしね。
いよいよ明日、次回セミナーのお知らせを
メルマガにて発表します。
購読まだの方は、今夜中に急いで登録を
すませておいてくださいね。
初回音声プレゼントありです。
◆ 楽しく美しく生きるための
「1分ヒント」は、こちらからどうぞ。