「心の時代」の意味

  • By Ryoko
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昨日の問いに答えてみよう。

変化のスピードの速い

マウス・イヤー

の、この時代。

「その時に重要なのは?」

それは言うまでもなく

そのスピードに合うだけの
「内側の変化」である。

わかりやすい外側の変化は、
ご存知の通り、よく見える。

ところが内側は?

「は?内側?」

「それって、心のこと?」

という声が聞こえてきそうだが、

勿論、それも含む、
内側全部のことである。

「心」とか「内側」と言葉にしても、
わからない人には、ちっともわからないのが
「内側」の話である。

「分かる」「見える」

のは、外側なのだから、

内側も同じように、

分かる、見えるものだと
思うことに無理がある。

分かって見えるなら、
それは外側のことであって内側ではない。

そう。

この外側と内側の変化のスピードが違うと
当然、ギャップが生じて
ものすごいストレスを感じるのである。

いや、感じるところまで行けば、
かなり重傷で、
人間は、相当、
生き物としては強い。

はっきり感じなくても、
かなりのストレスを負っているものだから、

強い上に、”慣れ”という麻痺が加算して、

すっかり「鈍感」

を作り出すのだ。

そして、「内側」を

すっかり取り残してしまう。

ひたすら外側とのひずみに耐え、

なぜかよくわからないまま、

感情のコントロールも、

人生のコントロールも、

難しくなる。

見ようと努力しても、

努力で見えるものは外側のものばかりだから、

ますます努力で外側のみ変化し、
その結果、
まったくバランスの悪い人間が出来上がる。

さて、

それを防ぐには、

外側の変化をスピードダウンさせて、
バランスをとるか、

内側の変化も始めて
外側の変化に追いつくか、

もう、いっそ諦めて
野放しに

野良犬状態でさまよう人生にするかの
いずれかであろう。

ただ難しいのは、

外側の失敗は、
見えるし分かるので改善もしやすいが、

内側の失敗は、

精神崩壊

と言う危険を伴うので、

どこかで見聞きした危うい方法は
使わない方がいい。

何もしなくても、
あまりにバランスが悪くなれば、

鬱という病とお近づきになるわけで、

どちらにせよ、

危険と隣り合わせだ。

理想的なのは、
正しい方法を、指導者に見守ってもらいながら
行うことである。

勝手にすれば、

内側のエゴが放出して、

とんでもない傲慢が溢れ出し、

手に負えなくなるのだから。

その時、指導者がついていれば、
どうしてそうなるのか、
どう対処していいかを教えてくれるから、

どんなに溢れ出したところで
心配はいらない。

そうやって、
内側の変化の方法を身につけて、
この時代のスピードに
追いつけるだけの実力をつけていけばいい。

ところが、
自分で勝手に
手術を開始しようものなら、
こんな腫瘍を、
どうやって切り取ればいいかわからず
パニックになるようなものである。

最初から、
ドクターにお願いすればいいものを、

手術代が惜しかったのか、

ドクターに負けたくないと
プライドが大事だったのか知らないが、

自分で勝手に始めるのは賢明ではない。

ドクターだって、
自分が手術の達人だからといっても、
自分の手術は、
他のドクターにお願いするはずである。

自分で始めて
痛くて気絶したら、
単なる阿呆扱じゃない?

内側の成長について、

どうやるかわからないから
放置。

わかったつもりで
自分で処理。

う~ん、

どちらを選ぶのかは自由だけれど、
どちらも違うよね?

「心の時代」

なんて言われる今、

本物の成功者になりたければ、

自分の内側を成長させられる以外に
道はないでしょう。

と、私は思うのだけれど、

時代に逆らって、

自分の常識である
外側的な方法で、
内側をなんとかしようとしたいですか?

もう、十分実験してきているはずですけれどね。

その方法で、

理想的な今、という結果を得られているなら
その「自分の常識」という「基本」は
これからの時代にマッチしている
ということですね。

そのまま使い続けても、

問題ないでしょう。

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