餓えれば満たしたいに決まってる
- By Ryoko
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お腹がすけば、食べることで満たしたい
と思う。
飢えを感じれば、何かで満たそうと思うのは、
人間が、生命を維持するための
自動装置であって、
当然のこと。
同じように、心が満たされず、
餓えを感じるとしたら
楽しいことで満たしたいと思うし、
愛情に満たされないなら、
やっぱり
幸せなことで満たされたいと思う。
ところが、
お腹が空いたときのように、
食べ物で満たすようにはいかない。
なぜなら、
心や愛情を満たすといっても、
一体、どこに何をすればいいか、
分からないからだ。
その為に、様々な代替え品を
考え出す。
煙草や、お酒や、買い物することや、
食べることであったり、
自分を傷つけることであったり、
人を試すことであったり、と。
色々な“工夫”をしては試す。
その場しのぎの楽しいことや、
その一瞬だけ幸せを感じるようなことをしてみる。
けれど、それで上手くいくことはない。
お腹がすいているのに、
どんなに愛情いっぱいに抱擁されても、
お腹が満たされることはない。
代替え品は効果がない。
誤摩化しは効かないのだ。
残念ながら。
今トライしているもので
未だ満たされないのであれば、
愛に餓えているのではないかと
考えてみることだ。
もし、そうであることに気づくなら、
代替え品ではなく、
愛そのものを求めなくてはならない。
それを、親だから配偶者だから、
恋人だからといって
彼らに求めてはならない。
彼らだって、自分の分が
まだ満たされていないかもしれないのだから。
そこから欲しがろう、奪おうというのは
気の毒なことである。
勿論、彼らが惜しみなく与えてくれるなら、
溢れるほど頂けばよい。
けれど、そういうわけにいかないなら、
まずは、
愛がどういうものかを知ることを
求め始めることだ。
そうすれば、いずれ、
どう対処すればいいのかが
わかるようになって、
自分で自分を満たすことは可能なのだから。
出来るだけ早くその練習を始めて、
上達しなければ、
愛の存在に、いつまでも気づくことすらできない。
学ばないなら
無知を続けるしかない。
その上、
いつまでも、既にある愛まで、
こぼれ落としてしまう。
「愛なんて」
と、照れている場合でもないのだ。
直視できない勇気のない者に
愛をもたらしてくれる程、
世の中は暇じゃない。
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