初詣の意味を誤解していませんか?

  • By Ryoko
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日本には、初詣という
素晴らしい習慣がある。

お節句やその他の季節行事も、

それぞれ大切にしたいし、
それを大切にしようという「心」を大切にして、
日本人として、正しく継承したいと思う。

ところが、

その初詣の意味を誤解している人がいて
びっくりした。

「初」に限らず、

いつでも「詣でる」というのは、

お参りに行くということで、

お参りに行くというのは、

「参上する」

ということ。

どこでどう間違えば、

「お願いする」

ということにすり替わってしまって
いいというのだろう。

手を合わせて祈ったり、

頭を下げるのは、

厚かましくも自分の願いを願うためでなく

感謝の気持ちを伝えるためであり

大いなる存在に敬意を表するために

参上する

ということなのである。

お世話になっている方に
新年の挨拶に参る(伺う)

というのも同様であり、
(それができないから年賀状となり、
 今や、簡易なメールと最低レベルにまで簡易化。)

お年玉をもらいに行ったり、
お屠蘇をいただきに行くわけではない。

知らん顔してないで、
ちゃんと会いにいきなさい

という意味なのだ。

(お年玉は存分いただいて結構よ)

だから、子供がいるならなおさら、

「願い事をするんですよ」

なんて、傲慢になることを教えてはならない。

それでなくても、
人間というのは日頃から、

大した努力もしないのに、
自分の願いは叶ってほしい、

たかが500円のお賽銭で、
1000万円巡って来てほしい

なんて考えている厚かましい生き物なのだから、

それに輪をかけ願い事するとは
なんぞや、

と教えねばならないというわけ。

たしかに
祈願成就、合格祈願など

お願いしていーよモードたっぷりだから、

誤解を引き起こしても仕方ない面はあるけれど、

だから、ちゃんと教育がなされないと
大人になっても、大変な恥さらしとなる。

祈願とは、

合格するような努力ができるよう
見守ってくださいね

というお願いのことだと私は理解している。

できれば、
感謝の言葉を

「伝える」ために「参り出る(詣でる)」

のがいいとは思うけれど。

それができるなら、

実際にお参りに出かけることができなくても、

自宅からでも、外国からでも、

詣でることはできるというわけ。

手を合わせる

頭を下げる

心から祈る

ということはどこからでも出来るのだからね。

しかも、いつでも。

日頃、感謝が薄いなー

と思うなら、

せめて一年の「初」に
「詣でる」ことをすれば、

少しは感謝を表す実践ができるでしょう。

何に感謝するか?

そりゃあ、基本は、

生きることを
許していただいていることでしょう。

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