大きな挑戦の前で何を思えばよいか。1

  • By Ryoko
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自分を高めよう

とすることは

時に、大きなチャレンジとなります。

ある時は、

自分の内側のマイナスのエネルギーに
引きずり下ろされそうになるかもしれません。

ある時は、

近しい人のたった一言が
致命的に感じるかもしれません。

また、ある時は、

攻撃的な人の強い情念に
多大な影響を受け
すっかり意気消沈するかもしれません。

ですが、

巨大なチャレンジだとしても、

これは所詮、

「チャレンジでしかない」

のです。

チャレンジというのは
「挑戦」です。

挑戦というのは、

闘う土俵、

つまり、

「その土俵」にあがれる資格を持つことができた
ということです。

実は、そのことがもうスゴいことでは?

だって、相手にされない

のではないのですよ。

土俵に上がっていいですよ

と許可が出ているということです。

喜んでその場に行き、

こてんぱんにやっつけられても、
初めてなら仕方ないですよね。

というか、

場数が圧倒的に少ないなら
やっつけられるのが普通。

やられて悔しいし、痛いけど、

でも、嬉しくて泣けてくる

というような
映画とかドラマとか

体験したことはなくても、
いくらでも観たことはあるでしょう。

今度は自分が体験できる機会が
巡って来ているのです。

やったー!

と、素直に喜びたいものです。

やっつけられる自分がカッコ悪いと、

こんなところで
カッコつけて、
プライドを維持させることを優先させて

その場から逃げるなら、

もう、この人に成長の可能性なんて
ないではありませんか。

挑戦中なんですから、

カッコ悪くてけっこー。

プライドばかり高くて
実力のない、まじ、カッコ悪い人より、

カッコ悪いわずかな一時を乗り越えて、
本当に、カッコいい人になった方が、
賢明だと思いますけどね。

「所詮チャレンジでしかない」

の「所詮」というのは、

もちろん、
チャレンジをバカにしているのではありません。

これまでの努力が実って
その土俵に立てた、

相手にさえされなかったレベルの自分が、
対等に立ち向かえるようになった、

じゃあ、その土俵とは、
挑戦の実践を試させていただける
実力試しの良い機会であって、

要は、模擬試験みたいなものであって、

それで人生(合格・不合格)が決まるわけではない

ということ。

そこで悔しい思いをしたなら、
また日々の努力の
量を増やすとか、
質を変えるとか、
色々試すことができるよね。

ということ。

チャレンジなんだから、

その時、
必ず良い結果を残さなければならない
ってことはないよね

ということです。

これが、賞金100億円でもかかってるなら、
良い結果残した方がいいだろうけど、
人生というのは、1回こっきりの
試合じゃありません。

これで人生が決まって、

負ければ死刑

ってわけじゃないのだし、

負けたって、
所詮、「チャレンジ中」なのだから
涙をふいてまた立ち上がって、
チャレンジを続けても
いいんじゃない?

ってことです。

え?
そんな挑戦の機会がまだ来ない?

それは、
「来ない」のではありません。

それは、、

長くなるので、続きは、また明日ね。

今日は、

自分を高める
という大きな挑戦の前で、

実際のところ、
自分はどういう考え方を使っているのか、
自分という事実を観てみるとよいでしょう。

欲張りにあれこれするのではなく、
毎日、確実な一歩がいいですからね。

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