食と人間の関係
- By Ryoko
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日本で過ごす楽しみは
当然ながら、食事を楽しむこと。
食に対して、
「食べたいと思うものをいただく」
ということ以外、
私は、さほどこだわりはない。
外国で長く過ごすと
和食が恋しくなる
という日本人は多いが、
私は、郷に入れば郷に従えで、
現地の食を楽しんでしまえるので、
あまり、恋しくはならない。
というか、無理なものを要求しないというか、
多分、あきらめが早いというか、
潔いのだと思う。
外国に暮らす間は、
自分で和食を作るので問題ない。
食が美味しくない国に行く時は、
マイ・ソルト(塩)
とか、
マイ・ペッパー(胡椒)
を持参して、
レストランで出されたお皿を味付けしなおし、
こっそり好みに変えて頂いたりしてしまう。
申し訳ないけれど、
味のセンスのなさの犠牲になる必要はない
と思っているので。
日本では、カウンター席での食事が楽しい。
同席する人とお喋りに没頭したい時は、
わざわざテーブル席を選ぶ時もあるけれど、
食を楽しむ時は、カウンターがいい。
そして、カウンターに座ると、
大抵、良いことが起きる。
昨日は、
お隣の席の方が、私たちに語りかけてきた。
そういう場合、
お喋りが盛り上がり、
私たち、お友達だっけ?
というようなことも時にはあるけれど、
昨日は何となく、時々お話ししては、
また、自分たちの世界に戻って、
という静かな感じだった。
食事が終わり、私たちが席を立とうとすると、
おもむろに、
せっかく、手に入れたのであろう
日本の名産品(しかも、私の好物!)を、
先ほど購入したからと、
持たせてくださったのだ。
こういうことは、
テーブル席では、めったに起こらないが、
カウンター席では頻繁に起こる。
以前も、
カウンター越しに料理長である大将と、
お喋りが盛り上がったと思ったら、
帰り際に、
「ちょっと待って、ちょっと待って」
と言われて、
なんと、大急ぎで「鯛飯」を作り、
折に詰めて持たせてくださったのだ。
日本、海外を問わず、
バーに行っても、大抵は、
お酒を、1、2杯、御馳走になったりする。
誰も、見返りを求めない大人達。
「そうしてあげたい」
だからそうする。
なんだか下心があるんじゃないかと
思われるのがいやだ
とか、
こんなことして何と思われるだろうか
とか、
そんな勇気もなくて照れくさくて、、
とか、
自分のことばかり
ごちゃごちゃ考えるのではなく、
素直に行動して、
喜んでもらう。
そんなストレートなカンジに、
人は喜ぶ。
少なくとも、私は嬉しく思う。
どんなに相手を想っても、
表現しなければないのと同じだし、
自分の勇気がないからと
自分を守ることを優先させて
表現を出し惜しむなら、
人を喜ばせるなど無縁であろう。
食を楽しむことには、
同時に、人が絡むことを言う。
本当に、一人っきりで、
誰とも、何とも交流なく、
ただ食して終わり
というのであれば、
それがどれほど美味しくても、
楽しいのか、嬉しいのか、
定かではない。
食とは、必ず
作り手という人が関わっているわけだし
食す場には、自分と、
あるいは自分以外の誰かが
そこにいる。
何が言いたいかって?
美味しい、楽しい、嬉しいのは、
必ず人が関わっているっていうことかな。
人がいるから
たくさんの感情を感じるという
素晴らしき体験ができるのだ
ということ。
交流したいと思ったら、
そんな大人達のように、
勇気をもって
交流のキッカケを
自ら作ってもいいだろう。
無意識にも、人を避けたりしないように。
そんなつもりなく、
無意識に避けている場合、
それは大抵、
人に寂しい思いを与えていることに繋がるのだから。
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