大人がひねくれる理由とは?
- By Ryoko
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昔の私は、
教育の対象が子供だった。
主に子供たちに直接指導をしていた。
それでわかったことは、
「そんなことをしても無駄だ。」
ということ。
もちろん、技術的なことは
教えられる。
でも、技術的なことというのは
所詮、表面的なことだから、
教育ではない。
技術が優れていても、
人間が魅力的かどうかは、
まったくの別問題なのだから。
子供の教育以上に大事なことは、
大人の教育なのだ。
だって、
結局、子供は
親の通りになっちまうから。
どれほどエネルギーをかけようが、
どれほど情熱を注ごうが、
親の影響は、計り知れない。
毎日の環境である親の空気を吸って
生きているのだから当たり前だけど。
だから、親が賢ければ
子供も、どうせそうなる。
大人=親の責任は、多大である。
そういうわけで、
今は、子供たちへの指導も行うが、
主に大人(親)たちの指導がメインになっている。
そして思うこと。
大人が、自分の為に生きていて、
なにやら上手くいかないことがある。
どうにも良い結果が出ないことがある。
「なぜだろう?」
と首をかしげるわけだけれど、
そんなカワイ子ぶっても、
答えは出てこない。
根本的に、無責任なのだ。
そして、
ちっとも勤勉でもない。
まさに「その程度」で、
金塊を掘り起こそうとしている
としか、私には思えない。
そんなオイシイハナシがあるなどと、
いったい誰が教えたのか?
と、聞いてみたくなる。
いや、自分のことを振り返ってみれば、
この世に生きていれば、
世の中全てが、そういう風潮、
いわゆる
「オイシイハナシは、どこかいな?」
という空気に蔓延しているから、
ほっておけば、
その空気を吸って育ってしまうのは、
当然のことなのだ。
私の場合は、
「そんなうまいハナシあるわけないじゃんか!」
と、自分でツッコミを入れることができた。
だから、
「でも~」
などと往生際の悪いことは言わず、思わず、
つべこべ言わず「やる」
という選択をし始めることができた。
オイシイハナシはないのだ。
と、明らかに認めて、アキラメルことができた
というわけ。
そんな当たり前のこと、
子供の頃から教えてもらったり、
聞いて来たりしているはずなのに、
大人というのは、
なぜか、自分に都合良く、
ねじ曲げて解釈してしまう。
まるで、ひねくれ者のように。
それも、これも、
「楽してもうけたい」
という根底の根性があるからに他ならないが、
この根っこ根性がある限り、
それをなんとか実現させようと
日々の暮らしは、すべて
そこに集中してしまうんだよね。
ま、こういう潜在意識にこびりついて
はりついた根っこの根っこの、根っこ根性は、
一人では、どーにも対処できないものだから、
あとは、どうするか本人の選択次第。
どーすんだろーね?
このパワーに、
人間の理性など
太刀打ちできるわけないというのに。
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