学問のすすめ
- By Ryoko
- 学問のすすめ はコメントを受け付けていません
ブログランキングに参加中。今日も応援ありがとうございます!
こちらをクリック。
ここのところの、このブログの内容が、
「セミナーに匹敵する」
ということで、
一部の方には、喜んでいただいているようなので、
私も、書く甲斐があるというもの。
喜んでいただけるなら、そして、
どうせ読むという行為をしていただくなら、
もっと価値あるものを
と思うのも、人情というもの。
今日は、ある大先生から学ばせていただこう。
セミナーに匹敵するといっても、
ライブ学習と、
自宅でぬくぬくと読むだけの自己満足行為が、
同じはずはない。
かの「学問のすすめ」をしたためた
福沢諭吉大先生だって、
慶応義塾というライブで教育を行ったのだ。
決して、
「学問のすすめ」を読んでいれば
成功しますよ~
と言ったわけではない。
読むというのは、
まことに危険な作業だから、
自分のレベルを上げなきゃ、正しく読めるわけがない。
自分のいつものフィルターを通していながら、
新しい情報が入ってくるわけはない。
読む前に、自分のフィルターを、
どうにかしなければならないはずなのだ。
茶色インクに染まったフィルターを使い続けるなら、
全ては、茶色に見えるに決まっているだろう。
読書で世界観が変わるのは、
フィルターを変更できた
教育の施された人間だけ
に許されること。
フィルターは、ライブで生で
教育されなければ変更するのは難しい。
世界レベルでみれば、
教育を受けるというのは、
超、エリートということになるのだから、
普通の人間が
「教育を受ける」ことは不可能。
「教育」を、
単に、読み書きそろばんができれば
いいって話にするなら、
だれだって「教育」を受けました
ということになるだろうけれど。
教育を受けている割には、
いじめがあったり、
卑怯な人間がいたり、
成功も成長もできない人間が多すぎると思うが、
それでいながら、
本当に教育が行き届いている
ということにしていいものなのだろうか?
もう少し、「教育」の定義を
高尚なものにしないといけないのではないだろうか?
と、私は思うのだが。
更に、
「学問のすすめ」は、
当然ながら学問を勧めているのだが、
そーいう「学問」でなく、
使える「実学」を勧め・薦め・奨めている。
良くおべんきょーしている人は、
お金も豊かになりますよ。
そうでない人は、あきませんねー。
と言っている。
あきませんねーとは、言ってないが。
自分の行っているおべんきょーが、
自分の欲しい結果をもたらすものか、
たまには検証しよう。
引用しておくので、どういう意味か
よく理解に努めよう。
人は生まれながらにして貴賤・貧富の別なし。
ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、
無学なる者は貧人となり下人となるなり。
福沢諭吉「学問のすすめ」より
◆ 楽しく美しく生きるための
「1分ヒント」は、こちらからどうぞ。