一般常識の犠牲者とは?
- By Ryoko
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私の“謝られギライ”は、
長年の読者の方は、
あるいは、ブログ「全部読み込んでます」
という、ツワモノ読者の方はご存知だと思いますが、
あるいは、
HEAPが何かを「理解」している方には
「わかる、わかる」と分かっていただけると思いますが、
私は、謝られることがキライなのです。
世間一般には、
謝ることは「良いこと」
ということになっていますけど、
問題は、その本質。
「謝る」
というのは、
その人が「悪事を働いた」
そして、
その被害を受けた「被害者」がいる。
という図式になるわけですが、
例えば、
私が、それほど「悪事」とも思っていないし、
なにやら、ちょこっとミスをおかしたくらいで
こちらは大きな気持ちで許している
または、何とも思っていない
ことに対して、
「すみませんでした」
なんてやられると、
なんだか、許す気持ちが元々なかったように
取り扱われている気がするし、
(何とも思っていないのに)
勝手に「被害者」に仕立て上げられるわけだし、
そもそも、
「謝ってすべてを許してもらおう」
という「魂胆」がいやなのだ。
「そんなつもりはない」
のは知ってはいますが、
「相手をそういう気にさせる可能性がある」
ということを、微々たる程でもいいから
「考えた挙げ句の(その言葉の)選択なのだろうか?」
と思うのです。
「そこまで相手を考える」
それが「思いやり」
のはずですけどね。
「謝ることは良いことだ」という
一般常識を振りかざし、
思いやりを忘れて、
「自分の立場を守ることしか考えない謝罪」は、
本当に、素晴らしいことなのか
大いに疑問なのです。
以前、このブログでそのことを語った後から、
私の周りでは「謝る」という
たった一つの行為にでさえ、
責任が伴うのだということを学んでいただけたようですが、
相変わらず世間の風潮は、謝っとけば自分の体裁が守られる
というものです。
ああ、浅はかな。
と、残念になるわけですね。
そんなことまで気にし出したら、
「もう何も語れなくなるわ」
というのは、
そんなことまで気にし出したら、
「もう何も食べられなくなるわ(危険で)」
という、日本における食卓事情と同じです。
かといって何も食べられないわ
といって飢え死にするわけにはいかない。
じゃあどうするか
といったら、
1 飢え死にするか
2 目の前のもの(一般常識)で妥協するか
3 この食べ物は危険じゃないと正当化するか
4 新しい知恵を得るか
この4つの選択となるわけです。
で、
一般常識で育った「一般人」というのは、
「成功者」でも、「成長者」でもないわけで、
いわば「大衆」です。
オルテガは、「大衆は常に間違う」
という言葉を残したのですが、
それに従うと、
謝ることすら間違い、
食べることを間違い、
考えることを間違い、
選ぶことを間違い、
そして人生を間違うわけです。
その一般常識のトリックを理解し、何かを察知し
「いい加減、大衆から脱出したい」
という賢い方たちが、
私のセミナーを選択してくださるのですが、
今まで使ってきた古い脳ミソの常識が覆され、
どんどん大衆から脱出し、
「成長者の考え」=「知恵」を知って、
少しずつ使えるようになっていくのを
面白がってくれるのです。
その調子で、
まだまだ共に、進化成長していきましょう。
そして、ご存知の通り、
「成長者」の延長は、「成功者」です。
ですから、「成功者」に向かいたければ、
「成長者」になるしかないのですが、
大衆の方は、
自分は「成長者のつもり」という「裸の王様」を続けます。
全く成長とは無縁なのに、
成長していると思ってしまうのですね。
一般常識の成長を求めているからですが。
なぜなら、
「成長」の正しい意味を理解していないからですが。
そもそも、
そのことは「成長」とは言わないよ
ということを、
「成長」と勘違いしているのですから、
それは、
「王様、あなたは裸ですよ」
というのを、
「私は素晴らしい衣裳を身にまとっている」
と勘違いしているのと同じです。
子供の頃からアンデルセンの「裸の王様」を読んで
育ってきているのに、
その意味を理解せず、応用もできず、
「裸の王様」を読むだけで、
「自分は裸の王様ではない」
と笑うのですから、滑稽なのですけどね。
「うわ、やば。」
と思った人は、笑えません。
もう、私のところで、必死で学んでいます。
だって、みっともない生き方を続けるのは
恥ずかしいと知っているのですから。
だってね、
「謝り方一つ」間違っているのですよ。
大人としては、恥ずかしいじゃないですか。
まさか謝っているその「魂胆」など、
一般常識では考え深めたりしませんよね?
「謝ることは(いつも)素晴らしい」
のですから。
で、一般常識を知っている自分は
スバラシキ「知識人」として振る舞うわけですが、
あー、はずかし。
そんな裸の王様を続けるより、
正しい学びをした方がいいのになー
という意見に賛同してくださる仲間がいる私は幸せです。
大衆をやっていて、自分は知識人
と「錯覚」して裸の王様的に生きるより、
知識人の道に入って、
「成長者」として学びの道を進み、
その先の「成功者」に向かう方が、
この1年、この1ヶ月、この1日を無駄にせず
生きることになると思います。
「大衆は常に間違う」
「謝る」ことを間違っている、または
「その違いがわからない」なら、
大衆ということになります。
あなたも、
「一般常識的な謝罪ギライ」
なら、
大衆を脱出できる素質があるということですから、
さっさと脱出してしまいましょう。
もし、「何?それ?」
と思うなら、「成長者向けの学び」を始めるべきですね。
だめですよ「大衆向けの学び」で安心していては。
何もアクション起こさない?
それは、
今の生活が続く、あるいは衰えていく
ということを確定させ、
そのあなたの選択は、尊重されます。
ですので、
そこは自己責任で。
要するに、「理解」が浅いと、
一般常識の餌食にとなり、
犠牲者として
どこまでいっても、犠牲者のまま
という、
なかなか悲壮な人生となりますから気をつけましょうね、
ということです。
できたら、
早めに脱出しましょう
という警告でもあるわけです。
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