苦しみから解放されて、使命の道に進むためには?
- By Ryoko
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あなたは、どうやって「マイナス感情」を処理していますか?
「苦しみから解放されたい」と思ったことはないですか?
そういう時、どうやって感情処理していますか?
あの~、ひとつだけ
どうしても重要なので言っておきますが、
「我慢」
するのだけは、やめた方がいいですよ。
なぜなら、
顔が歪むから。
心が歪むと、当然、お顔もひん曲がります。
隠したって隠し仰せません。
お化粧でどうにかできる「レベル」の「歪み方」ではないですから。
「ひん曲がる」
のです。
嫌じゃないですか?
私は嫌でしたね。
苦しみとかマイナス感情に支配されていた時というのは。
だからこそ、心も表情もひん曲がる前に
どうにかしたかった。
だからこそ、あれこれ修行して、
とうとう、
とんでもない国にまで行く羽目になったわけですが。
まあ、そんな私の話はともかく。
「苦しみ」
というのは、
言い換えると、
「ギャップ」のことです。
たとえば、
本来進むべき、自分の能力が発揮する道が
あるとする。
その道とは、
個人として、伸び伸び生き生きと自分の素敵さを発揮しながら
周りの人に喜んでもらったり、家族を幸せにしたり、
家族から幸せをもらったり、世の中に貢献したりする。
という生き方ですね。
生まれてきた意味の通りに生きる。
ということで、
「使命を全うする生き方」のことです。
ところが、
誰も、その「使命の通りに生きる方法」について
教えてくれなかったとしたら、
普通は、
「一般常識から外れない生き方」を、しこまれます。
小学校の頃なんて、子供の残酷さは非情ですから、
人と同じことをしなければ、
後ろ指はさされるは、白い目で見られるは、
で、肩身の狭い思いをして、
「二度と、人と違う行動をすまい」
などと心に誓ったりなんかします。
そういう時に、後ろ指にも白い目にも、
「へ」とも思わず生き延びることができた図太い人、
あるいは、
それを乗り越える自信や根性があった人は、
それほど影響なく、
ずっと己の道を進んで来れたかもしれませんが、
普通の神経なら、へこたれるものです。
そうして、
先生にとって、学校にとって
「良い子」という評価を得る為に、
また、親を悲しませない為にも、
自分を犠牲にして生きてきているものです。
そうなれば、当然ながら、
自由に生きる
のとは、別の道を生きることになるわけです。
なんといっても、「犠牲」的な生き方ですからね。
そうなると、
「使命」と「自分」にギャップが生じます。
ギャップとは、「溝」のことです。
要するに、自分の中に、溝ができるわけです。
「溝」とは、あっちと、こっちの「差異」のことですね。
あっちと、こっちがあるわけです。
自分の中に。
これ、痛いですよ。
自分の中に、溝があるのですから。
考えただけで、痛そうじゃないですか?
これが「苦しみ」なのです。
この「溝」が、「苦しみの原因」なのです。
使命を生きることが
人間にとって「正しい生き方」
ということになると思うのですが、
この正しい生き方が、Aの道だとして、
学校と家庭教育で教えられて進んできた道がBの道だとする。
そして、このAとBの間には溝がある。
この差がないのなら、
「溝」はないのですから、苦しむ必要はありません。
ですが、苦しみがあるとしたら、
なんらかの溝があるということです。
この溝をなくすか、
この溝を抱えたまま生きていくのか、
私たちは選択の自由を与えられています。
私は、当然Aの道を選びましたから
苦しみからは解放されました。
その経験を活かして、
どうやったらBからAを選べるのかを、
私から学びたいと私を選んでくださる方対象に、
解説し、サポートしています。
仕組みが分からなければ
対処も間違いますから、とても重要なところです。
人生がかかっているといっても
全く大げさでもなんでもありません。
ですから、昨年は、人生を変える
「Creating My Life(自分の人生は自分で創る)」
というセミナーを開催したくらいです。
このBからAに行くことが「人生を好転させる」
ということになるのですが、
世の中に出回っている殆どのものは、
この仕組みがわかっておらず、
Bの中で、なんとか人生を変えよう
とするものばかりですから、
多くの人は、学んでも学んでも、
まるで搾取されるかのようなだけで、
一向に「正しい生き方の道(Aの道)」には進めないわけです。
Bのまま何とかしようなんて、
はっきり言って、無駄です。
そこで脱出を試みようとしない人は、
麻痺しているからなのか、
諦めているからなのか、
臆病だからなのか、
それを続けていくのが平気なのでいいのですが、
そうではなくて、
なんとか脱出しようと試みて、
あれこれお勉強しているのに、
Aに行く方法を教えてくれる力もない人に、
お布施を要求されている人たちが、
本当に気の毒だと思うのです。
まあ、
見る目がないのか、
安さにつられているのか、
謳い文句につられているのか、
理由は色々にせよ、自業自得とはいえ、
どう考えても、あまりに気の毒だと私は思うのです。
ですから、HEAPでは、
ちゃんとAを教えることのできる
本当に実力ある人たちを育成しなくちゃなあ
と、ますます「本物の人づくり」の
HEAPの理念に燃えることになるわけですが。
ただの主婦をやっていた人や、
一般常識に侵されていた人たちの意識が
根底から変化していく姿は、
なんだか頼もしいし、
何より、本人達が楽しそうなのが素晴らしいなあ
と見ていて嬉しくなります。
自分の課題から逃げ続けてきた人たちが、
今は、
自分の問題を発見することを「楽しみ」とする力をつけ、
仲間同士で刺激し合いながら真の成長を目指す姿、
自分で自分の人生を変えていく姿は、
純粋に、美しいなあと思います。
本当に、
一人では絶対に不可能なマンパワーだと思います。
Aの道を目指すのだ!
と思うなら、
やっぱり Aの道に入る環境が必要です。
Bを続けながらも、Aの仲間を持っていれば、
いずれ時期がくれば、Aの道に入るのはスムーズです。
Bを続けている。
Bの人間しか付き合いがない。
Bの思考方法しか知らない。
どう考えても、Aに行く可能性はありません。
これは自分への教育ですから、ある程度の時間が必要です。
一刻も早く
というのは、「1分でも早く」
という日本語のはずですが、
何年も前から言い続けていますから、
いったい、何万分が経ったことでしょう。
おそらく、シワも随分増えたことでしょう。
大切な命の一部である1分をおろそかにしない人から
自分の正しい道を進んで、
「正しい結果」を得ていくのです。
正しい道には、感情をコントロールする正しい方法もあります。
是非、お顔がひん曲がる前に、その道に入ってほしいなあ
と、私は願うことと、
そのお手伝いをすることしかできませんが、
心からそう思っています。
でなきゃ毎日、何年も、学びになるような
メッセージを送り続けるなんてことはできません。
ちなみにこのブログは、2008年から始まっています。
今日も読んでくださって、応援までしていただいて、
ありがとうございます。
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