成長の落とし穴

  • By Ryoko
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謙虚でいたいと願っても、

謙虚でいることを簡単と思った途端に
傲慢さが勃発するものですね。

成長する人間でいたいと願っても、

つい「成長しているつもり」で留まって、

しかもそれが真実であるかのように
錯覚までしてしまったりします。

学びの場に出向くと、

それがビジネスセミナーであろうが、

インドのスピリチュアル大学であろうが、

人間たちは皆、自分をよくしようと必死です。

ところが、この「必死」に問題が・・・。

必死で「成長」しているようですが、

必死で「我欲を満たしたい」というのが

実情だったりして、自覚の大切さに心が改まります。

この違いを細かく理解できないと、

本当の意味での「平穏」は、
自分の中には、やってきません。

ですが意外と、「本当の平穏」は
想像するほどには難しくないものなのです。

それは、経験すればわかりますし、

経験することを選ばないうちは、

とてつもなく遠い別世界であるような気がするのと同じです。

例えば、「ポルトガルのヨーロッパ最西端」などと聞けば、

ヴァスコ・ダ・ガマの時代まで遡り、

なんともロマンチッックな「世界の果て」の気がします。

確かに実際、「世界の果て」のようではありますが、

それでも現実に足を運べば、

そこは、日本の大地と同様の空気があり、
土や草花や風や、耳に触れて行く音たちがあるのです。

地球が一つであることも、
目の前の海の先が日本と繋がっていることもわかります。

そして、

ちっとも「地の果て」ではないことがわかるのです。

実際に地球を歩いてみたら、

決して別世界などないことがわかります。

ただ、いつもそこには「それ」が存在していて、

自分がその経験を選択するかどうか。

ただ、その選択の自由が
いつでも広がっていることがわかります。

「選択は自由」というその状態の前で、

自分が選ばないことを棚に上げて、

不満など、決して言えないことがわかるでしょう。

自分が却下する自由も与えられている。

自分が選択する自由も与えられている。

どちらを選択しても死刑にはならない。

そのことに、まずは感謝することを
忘れるわけにはいかないと思います。

昨夜は、大切な友人と会い、
長い時間、地球や人間を含む様々な話題の中で、
そんなことを考えてみました。

もっとも頭が活性化する時、

それは、人との会話の真っ最中。

そんな刺激を与えてくれる友人に感謝し、

そんな刺激を与えられる存在でいたいと思います。

相手との関係を大切にしているつもりで、
却下しているのが実情

などという淋しいことにならないように

自分の「感情」ばかりを優先するのではなく、
自分の「事実」を観る練習も始めなくては。

「そんなつもりはない」
といって人を排除しているのが「あなたの現実よ」
なんてことでは、なにかと問題ですからね。

「必死」の落とし穴は、
自分自身が見えなくなることだから、

「汝自身を知れ」

の練習は、果てしもない挑戦のように思えても、
挑戦する価値はあるのではないでしょうか。

必死になりすぎるあまり、

「成長」の矛先を間違いませんように。

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