二種類の感謝の違いわかりますか?
- By Ryoko
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人間は、感謝がなくなると
本当に恐ろしい存在になるようです。
全ては人のせいになり、
全て、「自分は悪くない」
ということになり、
不満と文句だけが頭の中を蔓延します。
周りの人間を、「カモ」としか見ず、
自分の都合良く働く「奴隷」としか見なしません。
人としては、最低の部類に入っていながら、
それ以上に尽くしてもらうことは考えても、
それ以上に尽くすことは考えません。
そういう人間が、
「ありがとう」と言葉に出したところで、
それは
「感謝のセリフ」であり、
「感謝の心」ではありません。
「感謝の心」という豊かさとは裏腹に、
「不満・傲慢」という心がはびこると、
決して豊かな人としての輝くことはできないのですから
本当は改めればいいものを、改める理由がわかりませんから
何年もそれを続けます。
時には、それでも自分は謙虚だと判断しています。
時には、そんなことは教えてもらったことがない
などと、責任転嫁を始めたりします。
どうして、そうややこしくなるかというと、
「感謝のセリフ」と「感謝の心」の違いが
はっきり区別できないからです。
違いが分かるのがプロだとしたら
違いが分からないのは素人ということになります。
「本物の感謝」を育てたいと願い、
自分の子供にも身につけてほしいと思うなら、
「感謝の心」を育てる意思と、
それが実現する「環境」を持たなければならないのです。
「感謝したくなる環境」
の中で、
感謝できる心を育てなければ、
「感謝のセリフを言ってりゃあいいんでしょ」
の環境で、
「感謝しているつもり」
の錯覚人間が育ってしまうでしょう。
時々、親が「ありがとうと言いなさい」
などと強要する場面がありますが、
それは、「心」を育てる方法でしょうか?
私には、
「なんでよ!」という反発心を育て、
親がうるさいから、とりあえず「言っておく」
という「セリフ」を上手に言える子供が育つような
気がしますけれど。
子供だけでなく、
無理矢理「ありがとう」を詰め込んだ「セリフ」
と、
自然に「ありがとう」が湧いてきて仕方がない「心」
と、
随分、違いがあるはずです。
それを、一緒だと理解するのは危険じゃないかと
私は思います。
自然にありがとうが湧いてきて仕方がない「環境」と
その心を育てる自分の「意思」。
この両方を大切にしたいものですね。
「環境」は充分整っていますか?
どれがお好みですか?
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