実践しているのは謙虚さか傲慢か?
- By Ryoko
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学べる人と学べない人の差が露骨すぎて、
人の振り見て我が振り直そう
と改めて心に染み渡らせる今日この頃。
学べない人というのは
2000年も前から決まっている通り、
傲慢極まりない人です。
どの哲学書にも、そう書かれ続けているのですから
別に、私が言い出しっぺではありません。
都合の良い時は、
命をかけようが、誓いを立てようが
安易に喜びますが、
都合が悪くなれば
そんなことはないことにして豹変する。
いつの時代もそうですし、
このブログでも何度か取り上げてきましたから、
学んでいる方は、歴史を活用されているでしょうし、
傲慢な方は、漫才でも見る程度で
もうすっかり忘れているかもしれません。
で、
今日お話ししたいのは、
その傲慢がどこから来るか
ってことです。
これは、まったく基本の
言語理解
だなあ、と思うわけです。
傲慢だから、相手の真意を汲み取ろうとさえしない
自分が間違っているとは思いたくもない
というのもありますが、
自分解釈でしか言語を理解しない人は
間違いなく傲慢なのです。
それも、ひどくね。
謙虚そうに聞き返しても、
もう、それが違うのです。
「話、聞いてる?」
と言いたいですが、
そもそも聞いていないのですから話は噛み合いません。
例えば、
神様言語と、サタン(悪魔)言語があったとしましょう。
聖書にも有名な箇所がありますが
神様の御言葉(みことば)を、
サタンが巧みにねじ曲げて
アダムとイブに伝える場面があります。
同様に、
人の言葉を
ねじ曲げて解釈する癖がついている人が
多すぎるわけです。
神様言語を理解して、そこに合わせていきたいか、
サタン言語を使用して、そこに合わせようと企てるか。
どちらでも、ありがたいことに
選択の自由なのですよね。
ちゃんと読書できる人が殆どいない
というのも、これに関係するものです。
確かに、
皆が正しく成功者や哲学者の言葉を理解できたら
戦争とか、喧嘩とか、嫉妬とか、貧乏とか、孤独、
なんてこととは無縁になるはずですものね。
傲慢はいけない
ということは、殆どの人がわかっていることですが、
自分の傲慢さを理解できる人は
ほんの一握りです。
最初から謙虚な人はいないわけですから、
謙虚の練習をすることが大切です。
その為には、謙虚の意味と傲慢の意味を理解せねばなりません。
傲慢がいけないのではなく、
傲慢にも、ふてぶてしくふんぞり返って、
改善しようとしない、その横着さが問題なのです。
気に入らなければすぐ感情を荒げ、
牙をむいて言葉の端々に棘を付け加える幼稚な態度。
咄嗟に言い訳したり、
正当化を主張したり、
女も男も、老若問わず、大忙しです。
こうして傲慢な人は、
傲慢ですから、
「自分は傲慢であるはずがない」
といって、前提を変えることができませんから、
本当の意味で自分の傲慢さを観ることができないのです。
そして、そういう場面に出くわすと
必ず責任転嫁を始めます。
必ず
ですから、非常に分かりやすいのです。
カモフラージュしても
バレバレです。
自分のことは分からなくても、
人のことは見えた経験は誰にだってあるでしょう。
傲慢の反対は言うまでもなく謙虚さ
なのですが、
謙虚さというのは、
全てから学ぼうとする姿勢がある
ということです。
勿論、都合の良い時だけ、ということもありませんし、
素振りだけ、ということもありません。
全てから学ぶ
というのは、
「自分は全然わかっていない」
というのが前提となります。
まさか自己流の解釈で相手の言葉をねじ曲げて
「実は人を排除する手法」
とは違うわけです。
自分は何にもわかっていない
という前提だから
全てを受け入れる器もできるのです。
それを柔軟さ、人間の大きさ、
というわけですね。
難しそうですか?
でも、そんなことないのですよ。
なぜか?
謙虚50<傲慢51
謙虚50>傲慢49
というように、
ほんのちょっとでもいいので、
謙虚さを選択することが何より重要なだけですから。
1mmでもマシならいいのです。
もーえーわ!
といって放棄するのは傲慢度100%の態度です。
謙虚さがないと
潜在意識は美しく働いてくれませんし、
必ず人間関係で失敗します。
必ず
です。
これは法則ですから、私が決めたことではありません。
文句があるなら
宇宙にでも文句を言ってください。
天罰が下ってもしりませんが。
ビジネスも人間関係ですし、
恋人でも夫婦でも親子でも人間関係です。
全てのあらゆる場面と、密接に関係しているのです。
これに四苦八苦すると、
一生、すべてに四苦八苦します。
かなり不便な人生となりますから是非とも
謙虚さを理解できる
知性と言語能力を高めてまいりましょう。
いいですか?
バカにしてはいけませんよ。
バカにするから、
簡単に自分でもわかるだろ?
と、言葉を甘く見るのですからね。
(これも傲慢ですね)
謙虚を目指し続ける。
それが、そのまま美しい生き方となりますよ。
サタンが美しかったのは、堕天使になる前です。
「傲慢さ」が、その存在を悪魔にしたのです。
人間はほっておくと
おどろおどろしいマグマを心底で飼いならしていますから
できればそれを爆発させなくていいように、
賢く学ぶことです。
傲慢溢れてマグマが爆発したならしたで
それは喜ばしいことですから、
その正しい処理の仕方を習うことです。
でないと、マグマでドロドロになった姿で
生き続けることになりますからね。
20年以上指導をしていれば、
そのような姿の人間を何人も見ていますが、
殆ど犯罪者さながらの独特のオーラとなりますから
あれは、絶対やめたほうがいい。
目の下のクマと全身からのどんよりした空気。
だめだめ、美しくない。
その逆に
「昔の運転免許の写真が犯罪者のようだったのに
今では明るくなって、歳はとっているのにイイカンジ」
と、
垢抜けて行くHEAPで学ぶ方達のような生き方の方が
良いではないですか。
身も心も生き方も、キレイを選べる
謙虚さを学んでいきましょう。
こんな素敵で価値あることはないのでは?
だって、あなたが美しくなったら
周りで喜ぶ人が増えるでしょう?
ご両親だって、
お子さんたちだって、
ダーリンだってね!
自分と周りを幸せにするのは良いことです。
どれがお好みですか?
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