思い込みとはオソロシイ

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思い込みとは、いつもオソロシイ。

なぜなら、他の可能性を、
全くと言っていい程、閉ざしてしまうから。

これは単純に、

あら?今日と思ってたけど、
明日だったのね。

とか、

もう終わったと思ってたけど、
まだだったわ~。

という、カワイイものだけではすんでくれない。

自分の天職は、
今、情熱を燃やしている、
大好きなこの仕事だと思っていた

とか、

努力してやっと手に入れた
この資格を活かすことかと思っていた

など、

人生を左右するような、
ソラオソロシイ思い込みというのもある。

ソラオソロシイ思い込みに気づくということは、
ソラオソロシイ現実を見て、認めて、受け入れる
ということだから、
そら、オソロシイ。

要は、不都合なのだ。

長い間思い込んできた
思い込みを、
自分がそんな罠に引っかかっていただなんて、
認めたくないものだし。

感情が一旦、
そこで抵抗を示してしまうと、
できるだけ避けたいと思う願いの方が強くなるから、
ソラオソロシイほど、難しくなる。

思い込みを手放す方が怖いことで、
思い込みを認めるなど屈辱的で、
自分がそんな罠に引っかかっていた愚か者だとは、
できれば、死んでも認めたくない。

そうして、
思い込んだまま、何とか辻褄を合わせようと
正当化にいそしんだり、
そんなことを言う人は変なやつだと思ってみたり、
何かと、脳みそは忙しい。

そんな頭の使い方をして、
いつまでも思い込みの罠に引っかかったままだったり、
とうとう最後まで、思い込み脳を使い続ける生き方の方が
ずっと屈辱的なはずだけど。

目先の屈辱から逃げ回るか、
あるいは、
一時的な屈辱を乗り越えて、
屈辱的人生を回避させるか、

時には、
何か大きな思い込みに振り回されていないかと
考える時間や、
気づかせてもらえる場を持つことが、
大切なことかもしれない。

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