成し遂げる快感

ブログランキングに参加しました。今は何位?

何事も練習(訓練や、鍛錬などすべて)
ということは、私にとって、あまりにも当たり前すぎること。

練習せずに上達することはない
ということは、身をもって知っているから、
棚からボタモチ的な、淡い期待は持っていません。

ところが、どうやらそういう人ばかりでない
というのが、良くわかってきて、
それはどうしてだろうか、
ということを、よくよく考えてみると、

「徹底的に練習をして、何かを成し遂げる」

という快感を、
あまり経験したことがないのではなかろうか
と思うのです。

徹底的に練習をすれば、
必ずといっていい程の、
進歩と成長を得る事ができるから、

「何事もやれば結果がついてくる」

という事が、実感としてわかるわけです。

そうなれば、また練習をして、
こんな結果を出したい、
こんな自分になりたい、
と、次なる成長へと、自分を鼓舞する事も
難しい事ではなくなります。

なぜ、練習をいやがる人が多いのだろう?
と不思議に思うとき、

中途半端な練習しかしたことがないから、

中途半端な結果しか得る事ができずに、

面白い経験ができていないのだな

と思うわけです。

きっと、中途半端な練習のことを、

「自分は、とても良く練習をした」

ということにしてしまうのでしょう。

主観的な評価であれば、
人間とは甘いものであり、怠惰な生き物なのだから、
当然、自分自身への評価は、
甘いものとなり、結果の出るほどのものではない、
ということになります。

だからこそ、プロは、必ず先生やコーチに属し、
監視され、管理される道を選ぶわけです。

生活全般から、技術的なことまで全てを
把握してもらうわけです。

こういうところで、
自由が欲しい、などと願うから、
プロとの違いがハッキリと表れるわけです。

要するに、隠し事があるのですから、
そのような気持ちが存在する限り、
正々堂々とした生き方は不可能です。

プロは、皆、自信を持ち、自分をさらけ出して、
練習を怠らず、
自分を磨き続ける人のことを言います。

技術的な話の前に、精神がプロフェッショナルです。

金メダルをとるかとらないか、
というレベルに行かないとしても、

自分自身を磨く練習を怠る事は、
恥だと思う人が、少しでも増えると、
少しでもこの日本に
魅力的な人が増えるのではないかと
思います。

せめて精神的なプロフェッショナルは
目指したいものですね。

 ↓ クリック嬉しいです、ありがとう。



blogランキング

コメントを残す

Time limit is exhausted. Please reload the CAPTCHA.

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください