学習とは
日々、何をすべきか
何をしてはいけないか
という、
明確な「答え」を
もっていないのに、
もっているつもりになって、
大バクチのような毎日を送る人は多い。
やってはいけないことをやって、
”してやったり”
と良い気持ちになっている人もいれば、
(自己重要感を満たす貧しい生き方)
やることが分かっていない為に、
”これでいいんじゃないか”
と、曖昧に生きるか、
あるいは、
”これでいいんだ”
と思いこんで、強く生きるか、
などなど。
どれにしても、
分かっていない、一か八かの大バクチに
変わりない。
確かに、数打ちあたるかもしれない。
けれど、
メクラメッポウ打つのと、
しっかり目を開けて狙って打つのとでは、
確立は、比べものにならないだろう。
本当に、目をつぶって打てば、数のうち、
どれかは上手くいくとでも思っているのだろうか。
目をつぶって
ゴルフボールを打つより、
遥かに難しいという現実を知っていて、
そんな難しい大バクチに
勝てると信じているというのだろうか。
たまには、
どんなに難しい賭け事に挑んでいるか
という現実を見るのも、
決して悪いことではないだろう。
それによって、
自分の学習しない怠け心、
あるいは、
錯覚によって、
学習している気になっている
ニセモノの罠に気付ければ、
もっとよい。
そして、
本当の学習が何であるかに気付ければ、
そこから、やっと、
学習のスタートである
ということに気づき、認め、
開始することができるだろう。
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