みっともない生き方

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自分の器を、
日々、頻繁に確認できるチャンスがある。

例えば、

自分で処理できなかった
問題なり、感情を、

どこかに爆発させたりする

というような場面だ。

自分の器が狭いと、
抱えきれなくなれば、
どこかにぶちまける。

自分では抱えていられないから、
どこかに分配したくなるのだ。

理由はいつも簡単。

相手が悪い

ということにして、

例えば浮気した相手への腹いせに、
もう別れてやる
だの、

許さない

だの、

仕返ししてやる

だの、

ザマミロ

といった類の
復讐が始まる。

あるいは、

あてつけるために、

自分も同様のことをしてみせたり、

恥ずかしいことだけれど、
これも、アイツへの見せしめだ

などと、正当化も甚だしく、

とんでもないことを、
おっぱじめたりする。

別に男女関係だけにとどまらず、

不都合なことを言われたり、
起こったりする時はいつもだ。

親子関係、

師弟関係、

友人関係、

職場関係、

はては、
店員とお客の関係ですら、

似たようなことは、
常々、繰り返している。

美しくない。

ただ、美しい生き方とはいえない。

どちらかと言えば、醜い。

もし、醜い心に気づけるなら、
まだまだ、復活のチャンスがある
ということだから、喜ぼう。

もし気づけない、気づく必要がないなら、

私の言葉など不要である。

文句があるなら、読まなければよろしい。

敗者さながら逃げていればよろしい。

とっても、簡単。

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