人間の器はどこで判断できるか

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本当のこと

というのは、

時に、人を不愉快にさせたり、
怒らせたりする。

そう思われるのが怖いために、

調子良くおべんちゃらを使って、
自分は、さも悪い人間ではございません
と振舞って、ウソツキ野郎と化する。

そして、

わたくしは、ウソツキ野郎では御座いません

という顔をしたりする。

さて、本当のこと
を受け入れることができない、
器の小さい人間は、

器の小ささを隠す為に、
プライドを大きくするから、
その自分のトリックに自分が引っ掛かり、

立派な自分(プライドがご立派)は、

人間そのものも立派だと錯覚することになる。

それを試すには、
本当のことを目の前にして、
どういう反応をするか実験してみるといい。

プライドばかりの人間は、

怒りだすか、不愉快になる

と、全くのワンパターンである。

そして、自分は立派だと主張を変えない。

もしかしたら、声が大きくなって、
みっともなさを露呈するかもしれない。

もし、身近にそういう人がいたら、

はい、はい

と、受け入れ、
こちらの器の大きさを示してあげよう。

相手は、それまた気に入らないかもしれないが、
あなたがお付き合いするのは、
器の大きな人であり、
そんなせせこましい人を相手にする必要はないだろう。

ただし、
その人がいつか、みっともないほどの、
己の小ささを悔い改める日が来るなら、
それを全て許し、受け入れてあげよう。

なぜなら、
己の小ささを悔い改めることができるのは、

器の大きな人にしかできない、
素晴らしく価値あることだからである。

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